西の建築探偵・円満時洋介さんと巡る河原町三条界わいの武田五一・酒好き遊び好きの洒脱なセンセだったそうです。
三条大橋におわします高山彦九郎銅像の台座は武田五一氏の作品ですって。
1928年
高山 彦九郎(延享4年(1747年) - 寛政5年(1793年))は、江戸時代後期の尊皇思想家で、全国を行脚し,思想を広め,後の幕末の志士たちに大きな影響を与えた。天皇家の尊号を巡る幕府と皇室の対立にかかわったため,幕府の要注意人物とな
り,仮寓先の筑後国久留米で自刃する。享年46。
佐久間象山遭難之地碑。これは,ヨーロピアンな碑です。武田五一です。
1915年
佐久間 象山(さくま しょうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・思想家。松代三山の一人。象山は松代藩の下級武士の出であり、若年期に経学と数学を学び,門弟の吉田松陰はじめ多くの指導者に影響を与えた。
「仁JIN」のとき,市村正親さんが演じられましたが,眼光鋭く、傲慢なド変人だったそうです。元治元年(1864年)、象山は一橋慶喜に招かれて上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説いた。しかし、当時の京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点となっており、「西洋かぶれ」という印象を持たれていた象山には危険な行動であったが頓着せず。7月11日、暗殺される。享年54。
先斗町歌舞練場
1927年 木村得三郎(武田五一指導)
先斗町側の入り口のすぐ横に装置の搬入口があります。そのため、鴨川側に開かれたホワイエがイケます。武田センセのことですから、ヴェネツィアを意識なさっておられるはず。
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高瀬川の御池橋
これは,竣工年,設計者不詳 施工者は上坂音吉
時代の息吹を感じさせる軽やかなアールデコの鋳鉄製の欄干だったと推測されますが,戦時中の金属類の供出で,銘版ともども失ったため,石の欄干が据えられたと考えられるとか。重厚でありながら夢いっぱいでええ感じです。
京都市役所
1927年,1931年。中野進一,武田五一の作品。
装飾は,インド様式。当時武田とその弟子たちのブームだったそうだ。実は,アンシンメトリーというのが武田らしい。
島津製作所
結婚式場フォーチュンガーデンとしてまもなくリニューアルオープンします。コーニスの蛇腹装飾は今回の修復で復元されてますね。
1928(旧毎日新聞社京都支局)
昭和3年
社章の星を象った窓や毎という字の窓枠,星とも扇とも見えるバルコニーなど,遊び心満載です。建築家の若林さんが,買取りコンバージョンされ,テナントビルと貸しホールとして活用されています。
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