
画像はおけぴ管理人さんにお借り致しました。
戯曲:アーサー・ミラー
(セールスマンの死等で著名な20世紀を代表する劇作家)
演出:ダニエル・カトナー
(若干33歳、ブロードウェイで活躍する気鋭の演出家)
キャスト
ジョー・ケラー(父) 長塚京三
ケイト・ケラー(母) 麻実れい
クリス・ケラー(長男) 田島優成
アン・ディーヴァー(次男の婚約者) 朝海ひかる
ジョージ・ディーヴァー(その兄) 柄本佑
ドクター・ジム・ベイリス(隣人) 隆大介
スー・ベイリス(その妻) 山下容莉枝
フランク・リュピイ(次男の友人) 加治将樹
リディア・リュピイ(その妻) 浜崎茜
バート(近所の少年) 坂口湧久、鈴木知憲
あらすじ
第二次世界大戦直後の特需景気に沸く合衆国の地方都市の夏。主人公ジョー・ケラーは飛行機の部品工場を経営し、町のセレブとしての富と人望を集め、瀟洒な家屋に住んでいる。舞台は広大な敷地を持つケラー家の庭に続くテラスで、近所の人も出入りしている。
嵐の次の晴れた朝。前夜のハリケーンで庭の木が倒れてしまったため、ケイトは不吉な予感に錯乱気味だが、ジョーとクリスはうきうきしている。戦死したとされている次男の婚約者のアン・ディーヴァーを招いているからだ。クリスはアンにプロポーズすると決意しているが、次男の戦死を受け入れられないケイトにどうやって伝えるかが問題だ。
実は、ケラー家とディーヴァー家には深い確執があった。ケイトがラリーの死を信じない本当の理由の根本もそこにあった。
こんなお芝居でした
アーサー・ミラーの「セールスマンの死」は、平凡なセールスマンに合衆国の夢を仮託し、子供への過大な期待を抱いて自滅する姿を、現代の悲劇の象徴として描かれている。「みんな我が子」は、一見裕福で穏当な家長(合衆国の父)の富と名誉とへの執着と我が子への愛の不可分を、愛という美名の下の欺瞞であると、絶対的な正義の視点で糾弾する息子との対決を主題にしたドラマである。副主題に、戦争の上に築かれた平和への罪悪感、母の愛の仮面の下の自己愛、勝者側の正義と迎合する大衆、弱者側への仮借のないネグレクト…。さらに、ひとつの台詞に込められたアイロニーと、一言も聞き逃せない重層構造になっている。1947年にブロードウェイにて初演され、トニー賞を受賞した。
豪華カンパニーですが、戯曲の完成度が高く、書き込みが細かいので個性や魅力で勝負に持ち込む役者さんはさぞたいへんだったと推察されます。積み残しもありましたが、総じて考えられる最高でした。ワタクシは切り捨てても正解と思います。
一番芸風やお姿とお役がシンクロし、存在感を示されたのは長塚京三さんでした。ジョーは、自らが戦時中に犯した犯罪を従業員に転嫁し、真実が明らかになることに怯えながらも家族を守るためだったと正当化します。
70年後の今日でも、洋の東西を問わず全く根絶の気配のないセレブ的な糊塗の体質ですね。ただ、日米には決定的な違いがあります。日本なら組織のためという名分が、合衆国では父としての尊厳と我が子への富の継承というところが違うなと感じました。ジョーのけじめは、責任逃れではなく、父としての尊厳を無くして生きることができなかったからと納得できました。
犯罪:欠陥部品と知りながら受注停止を恐れ、それを戦闘機に装着することを現場責任者に命令。結果、パイロット21人が墜落死。しかも、その責任を全て現場責任者の単独犯と証言し無罪となる。現場責任者はアンの父。真実を知ったラリーは絶望し航空機で消息を絶つ。あかんあかんのカノンですね。みんな我が子というタイトルは、事故死した21人のパイロットが全て自分の子どもたちであったという自嘲の台詞です。
積み残した小さな謎:
1 クリスの戦争の心の傷。戦死した部下や弟たちへの罪の意識とアンへのプロポーズとの整合性。
2 ジョーがクリスとアンの結婚に異議をなぜ唱えなかったのか。
3 全てを知りながらクリスとの結婚を望むアンなりの正義の在り処はいずこに?
4 ジョージが唐突に乗り込んできたのはなぜだったんでしょ。
トークショーなしでは、涙どぼどぼで帰ることになったでしょう。↓よろしかったらポチッとお願いしますm(_ _)m。

にほんブログ村
最近のコメント