まちづくりが進む下京区新釜座町「膏薬の辻子(こうやくのづし)」を歩いてきました
膏薬屋さんが建ち並んでいたわけではないらしい。
膏薬の辻子(こうやくのづし)という摩訶不思議な名を持つ空間は、下京区西洞院四条東入る新釜座町から南へ、綾小路通に抜けるクランク状の細街路だ(幅員約2メートル、延長150メートル)。このまちの風情を守るため昨年9月からお町内の有志の方々が勉強会を開き、まちで暮らすルールづくりや室外機を木製格子で修景する取り組みなど、着実な成果をあげておられる。
きっかけは、辻子の北側の高層ビルの建設計画が明らかになったことによるが、京町家の風情を活かした飲食店が進出する一方、家屋の無人化など追い風とも危機とも受け取れる動きが急速化している。
この日は京都の財団法人主催で、まちづくりコンサルタントの先生とともに、膏薬の辻子を歩く催しがあったので参加してきた。
膏薬の辻子が登場する時代はは遥か遠く、平安時代半ば、東国で蜂起こした平将門の乱が平定され、首魁の平将門の首級がここにさらされたという。その頃、市の聖と民の信仰を集めておられた空也上人は、その首を供養してこの地に祀られた。「くうやのくよう」がなまって「こうやく」になったと記録されている。
その縁で神田大明神が祀られているが、幾たびも建て替わり建物や住人が変わっても町組と街路は変わることなく現在に継承されている。風景は戦前の伝統建築による街並みであるが、千年の歴史というのが重い。
四条通から膏薬の辻子へ
神田明神が昨年整備されたとか。なるほど、守護神は蝦蟇です。路地の奥には、お地蔵さん、井戸の跡、懐かしい牛乳箱など、まちの宝物がいっぱい。
交通至便ですが、すぐそこが四条通とは信じられない静けさ。↓よろしかったらポチッとお願いしますm(_ _)m。
クランクを曲がると、人気の風景が…。新しい工房や町家カフェがひっそりと開かれている。仁丹の町名表示のなかでも珍しい木製。
うん、いい感じ。>
おやおや、ここにも風知草が。石垣や土壁を壊すかもしれないこのたくましさはふうちゃんですか。
綾小路に抜けるとそこは杉本家。膏薬の辻子の家々は、元は杉本家に御奉公する方々の住まいとして建てられたものとか。しかし、道は千年前。まちに住む人々の建物や空間のスケールは不変であったのですね。
西洞院四条に竣工した京染会館。1階にはフレスコさんが戻ってこられました。1930年代の建物をリニューアルして1950年代風になさったというのが衝撃的。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 永観堂の夜間拝観行って来ました!(2013.12.02)
- 26日は白鷹には行けなかったですが、今津浜の今津灯台を見てきました(2013.10.28)
- 新参者を道連れに日本橋人形町周辺を訪ねてみました。目的は「挑む」観劇。(2013.09.08)
- 迎賓館です!(2013.09.07)
- 雨の白川の柳。京都の春は忙しわぁ〜(2013.03.27)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
>月台さま
コメントありがとうございます。
空也上人の時代という途方もない歴史を持つ辻子はたくさんあります。現代の法律になじまないのは当然です。
考えてみれば、豊臣秀吉さんのまち改造は画期的だったのですね。深いです。
投稿: とみ | 2010年10月31日 (日) 23時51分
昨夜も深夜に、このあたりの四条通を歩いておりました。
でもでも、膏薬の辻子という通のあることさえも知りませんでした。
なんだか四条通に最近、やたらにホテル系の建物が増えているな、と思う程度でした。
奥の深い京都情報、有り難うございます。
近々に立ち寄ってみたいと思います。
私の方は、最近は叡電方面の彷徨の機会が増えています。
投稿: 月台 | 2010年10月31日 (日) 16時21分