« 吉弥丈がおかやを代演・山崎街道を新快速で大阪へ | トップページ | 吉弥丈のおかや代演は3公演だけで、竹三郎丈は御本復されました »

2010年1月17日 (日)

大津事件「ロシア皇太子遭難事件」碑

大津事件石碑
いつも前を通りながら写真撮影していなかった「大津事件」石碑だが、エドワード・ラジンスキー著「アレクサンドルⅡ世暗殺」を読破した勢いでチェック。
大津事件は、日本を揺るがした大逆事件であるが、歴史上は司法権の独立を守った画期的な事例として伝えられている。

大津市京町の旧東海道の街並みと石碑。正面は三井寺。↓よろしかったらポチッとお願いしますm(_ _)m。
にほんブログ村 演劇ブログ 演劇(観劇)へ

大津事件石碑大津事件石碑
明治の日本を揺るがした「ロシア皇太子遭難事件」の現場は、大津市内の中心市街地の街道沿いで、現在も小さな石碑が立っている。
シベリア鉄道起工式に参列したロシア皇太子ニコライ・アルクサンドロヴィッチ(後の皇帝ニコライ2世)は、その後日本を訪れるが、日本訪問中の明治24年(1891)5月11日、警備にあたっていた巡査津田三蔵に斬りつけられ負傷した。時の政府は恐慌状態となり、松方内閣は、対露関係の悪化を恐れ法的処置として、犯人を死刑にすべしと要求した。
これに対し大審院(最高裁)の院長児島惟謙らは、政府の干渉を退け、普通謀殺未遂罪を適用し、津田を無期徒刑にした。
明治憲法が出来て2年目のことであり、行政府の干渉を排除して、司法権の独立を守った「大津事件」として有名である。

|

« 吉弥丈がおかやを代演・山崎街道を新快速で大阪へ | トップページ | 吉弥丈のおかや代演は3公演だけで、竹三郎丈は御本復されました »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大津事件「ロシア皇太子遭難事件」碑:

« 吉弥丈がおかやを代演・山崎街道を新快速で大阪へ | トップページ | 吉弥丈のおかや代演は3公演だけで、竹三郎丈は御本復されました »