芝川ビル(大阪市中央区伏見町)
芝川ビルの話題を頂きましたので,前を駆け抜けた写真を・・・。
もちろん,浪花教会の前も走り抜けた。なんで走っているんだろ。
鉄筋コンクリート造地上4階地下1階
昭和2年(1927年)7月
設計 渋谷五郎(基本計画・構造設計)、本間乙彦(意匠設計)
施工 竹中工務店
芝川ビルの竣工当時、大阪・船場にはまだ和風木造家屋が多く、建築主の芝川又四郎が鉄筋コンクリート造のビルを建てた理由も、防火の目的が主で、自家用として使用するつもりだったとか。
しかし、芝川ビルは、自家用の使用だけでは余裕があったため、教育に関心を持っていた又四郎の意向で「芝蘭社家政学園」という花嫁学校を創設する。昭和4(1929)年の開校から昭和18(1943)年の閉校までに、3,000人を超える「いとはん」たちが学び、現在の女子短大の魁であったとも言われている。防災、戦争、文化の三題噺がここにも。
テラコッタを多用した南米のフォークロアっぽい意匠や,スパニッシュな屋上のしつらえなど夢が一杯の建物は,個性的な貸しビルとして変わらぬ光彩を放っている。
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コメント
>袖ふれあうもさま
このようなオーナーさんが作られたビルが船場から西船場に意外に残っています。戦後、ビルの不燃化を進めた国策が戦災に起因しているものということに鑑み、防火基準による景観の悪化を論じるとき、京都の傲りと配慮の欠如には十分すぎる程心がけなければなりません。
投稿: とみ | 2009年9月 2日 (水) 08時21分
芝川ビルにも走り込まれたのですね.
おとみさまの走力?に敬服致します.
オーナーの高い見識があるからこそ,残っているだけでなく,維持管理を含めてより使いやすい状態が保たれているのだと思います.
効率性と経済性など意外の価値観を重視する転換点に私たちは立っているのかと,少しまじめに感じました.
そして,やはり「こんなビルで働きたい」です.
投稿: 袖ふれあうも | 2009年9月 1日 (火) 13時46分