« 新版歌祭文 in 国立文楽劇場 | トップページ | 勘十郎さんの風呂敷がキター »

2009年1月30日 (金)

35万ヒット記念リクエストエントリ・平安京の守護神たちの鬼退治・大江山を訪ねて

首塚
35万ヒット記念リクエストということで,酔眼見聞録の花かばさまより,坂田金時(さかたのきんとき)というお題を頂戴しました。今昔物語集、御伽草紙,謡曲,浄瑠璃,歌舞伎,浮世絵、唱歌、五月人形とあらゆるメディアで喧伝されている坂田金時、頼光四天王(らいこうしてんのう)と酒呑童子(しゅてんどうじ)ゆかりの地を訪ねました。

2009年12月14日,京都府福知山市大江町と、12月29日に京都市西京区老ノ坂峠を訪ねた。寒い!怖い!エライ!の三重苦(涙)のため,現地レポはほうほうの体だ(トホホ)。このため,図書等により机上で補強した。オオエ国の写真はこちら
※頼光四天王 … 源頼光(みなもとのよりみつ)と共に活躍した4人の武将。渡辺綱(わたなべのつな),坂田金時,卜部季武(うらべのすえたけ),碓井貞光(うすいのさだみつ)をいう。大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)等を退治したことなどで知られている。

丹波の国・大江山(京都府福知山市)に住む鬼・酒呑童子一党は、都で誘拐や窃盗の狼藉を尽くしたため、頼光四天王は勅命を受け,山伏姿に身を変え、神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って寝首を掻いて退治した。永祚2年3月26日(990年4月28日)のことと言われている。首になっても頼光の兜に噛み付いていたとか。
頼光たちは首を京へ持ち帰ろうとしたが、国境の老ノ坂峠で,地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな。」と忠告され、首はその場から動かなくなってしまい、一同はその地に首を埋葬し大明神として祀った。これが老ノ坂峠にある首塚大明神だ。

ところで,酒呑童子は、京都と丹波の国境の大枝町(おおえちょう)(京都市西京区老ノ坂)に住んでいた盗賊の頭領という説も有力だ。こちらの説には,民俗学的に,鬼伝説は疫病を忌避する信仰に根ざしているという考察もある。
平安時代に疱瘡等の疫病が蔓延し、怨霊の仕業と考えられ祈祷が流行っていた。災いが都に侵入する経路は,丑寅(東北)と乾(北西)の方角からと考えられており,乾の大枝は通り道になるわけだ。そのことからも,鬼伝説はこの大枝山付近と言われていたようだ。

 どちらの説にも疑問はあり決定版ではない。福知山市の大江町は,まつろわぬ民であり最後まで朝廷と戦った郷土の英雄として鬼を奉唱し,鬼伝説に係る民俗学の拠点として,鬼による町おこしを図っている。ヘイアン時代にミヤコと戦ったオオエ国の戦士と考えるか,国境に出没する山賊だったのか,謎は解けないままだ。

トンネル
 
いよいよ現地踏査決行!まんの悪いことに前日は雪で当日はみぞれが…。
ぢつは,老ノ坂峠は京都の魔界スポットのなかでも,怖い怖いほんまもん最強のパワーが蓄積されているとされている。
阪急桂駅から,亀岡市行きの京阪京都バスに乗り,京都市立芸大を過ぎ,国道9号線をひた走り,老ノ坂トンネルの手前のバス停老ノ坂峠で下車する。旧トンネルもちょっと怖い。
雪が残る新しメの間道を南にゆくと,ヒエーとしか申し上げようの無い,何が出ても不思議でないモーテルの廃屋,先には採石場…。半泣きで走り抜け。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。,ちゃんとした古い山道に出てホッ。
東海自然歩道から少し分け入り,首塚大明神にたどりついた。首から上の病に霊験があるとされる有難い酒呑童子に詣で,自然や地霊を敬い日々行動を律している旨を報告し帰路についた。怖い怖いさっきの路も,帰りは鬼に守られている気がして全く怖くなかった。

にほんブログ村 トラコミュ 演劇・観劇・ミュージカルへ
演劇・観劇・ミュージカル
↑よかったら、ポチッお願いします♪

地図

おしまいに,金太郎さん情報を整理しておく。
金太郎といえば,♪まっさかりかぁついできんたろぉ〜の唱歌で知られる千年のヒーローキャラクターだ。
金太郎の両親は、平安時代の武士・坂田蔵人(くらんど)が父,遊女八重桐(やえぎり)が母である。蔵人が亡くなってしまい、八重桐は山姥となって足柄山で金太郎を育てた。天延4年(976年)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となる。名前も金時と改め、京にのぼって頼光四天王の一人となる。
幼い頃から怪力を有し、熊などの動物たちを従え、まさかりを持ち、腹掛けを掛け、相撲や乗馬を好んだとされている。母に孝行する優しい子どもでもある。
実は,金太郎伝説は全国に多数存在する。このイメージが定着するのは、「前太平記」(享和3年、1803年)以降といわれているが,古来,ヒーローとして民衆に愛され続けてきた。
明治になり「金太郎」唱歌が作られると、当時の時代背景のなかで、男児の健やかな成長と出世に対する親の願いと重なり、五月人形や凧(たこ)絵になって親しまれている。

|

« 新版歌祭文 in 国立文楽劇場 | トップページ | 勘十郎さんの風呂敷がキター »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

>花かばさま
おおさか・元気・文楽、若手公演に、住大夫が重しでええ感じでした。舞台は高いし手すりは舞台上にあって、天井も高い。
国立文楽劇場はええです。
クリックありがとうございました。

投稿: とみ | 2009年1月31日 (土) 21時25分

ポチポチさせていただきます。

投稿: 花かば | 2009年1月31日 (土) 12時31分

>花かばさま
遅くなりました。次のキリの背中が見えてからというのが慣例になりそうです。
足柄山をトレーニングフィールドにしておられる花かばさまをソンケイ。五月人形は効果あったようですね。
諸説ありますが、ワタクシ的には大江は生野の道の遠ければまだ文もみず天の橋立で福知山市説の方がロマンがあって好きです。鉱山を司る山の民と朝廷というのが納得できます。大枝の盗賊では、鬼たちを矮小化していると思うのですが。
藤十郎センセにも訊いてみよっと。
さいきん、固定客を一気に失い低迷しています。応援よろしくお願い致します。ポチッ。

投稿: とみ | 2009年1月31日 (土) 12時03分

ありがとうございます。
寒波の中のご苦労様でした。
大江山は京都でも奥深いところですね。

大江山の鬼は私も盗賊か豪族やと思うのです。

お疲れさまでした。

私、足柄山に登った時は、金時神社に行ってみます。


投稿: 花かば | 2009年1月31日 (土) 09時35分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 35万ヒット記念リクエストエントリ・平安京の守護神たちの鬼退治・大江山を訪ねて:

« 新版歌祭文 in 国立文楽劇場 | トップページ | 勘十郎さんの風呂敷がキター »