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2009年1月30日 (金)

新版歌祭文 in 国立文楽劇場

おみつ四季

国立文楽劇場千秋楽を通しで拝見した。新版歌祭文は一度きりとなったが、こんな話やったんかと感動することしきり。
新版歌祭文
座摩社の段
小助/松香大夫、法印/三輪大夫、久松/南都大夫、お染/始大夫、勘六/津国大夫、佐四郎/呂茂大夫、弥忠太/靖大夫、金右衛門/文字栄大夫、下男・下女/咲寿大夫、三味線/清友
野崎村の段
中 英大夫・団七
切 綱大夫・清二郎
  住大夫・錦糸・清丈(ツレ)

油屋の段
中 文字久大夫・清志郎
奥 咲大夫・燕三
人形
山家屋佐四郎/幸助、丁稚久松/玉女、久三の小助/勘十郎、山伏法印/勘緑、娘お染/清十郎、だはの勘六/玉也、下女お伝/玉翔、下男喜八/紋秀、岡村金右衛門実は紀州の源蔵/勘市、鈴木弥忠太/亀次、娘おみつ/簑助、祭文売り/文哉、親久作/和生、下女およし/紋臣、おみつの母/紋豊、駕籠屋/簑二郎・勘弥、油屋お勝/清三郎、船頭/玉勢、油絞り久兵衛/紋吉、油絞り長八/玉誉、下女おさつ/簑次、女郎咲野/簑一郎、田中屋亭主/玉佳、乳母お庄/文司 

野崎村は段切りが華やかな名曲で、よくかかる演目だ。また、歌舞伎でもよくかかる。お染の七役というのもお馴染だ。本家本元のほぼ通しは初めてで、大変楽しく拝見した。

ものがたり
油屋の丁稚久松は主家の娘お染と恋仲で、お染は久松の子を懐妊している。油屋は、主が亡くなり店は山家屋から大きな借財を背負い、後家のお勝は、山家屋佐四郎を婿に迎えようとしていた。同じ奉公人・久三の小助は、久松がお染とできているのが忌々しい。二人で売り掛け金を集金に行った際、座摩社で、山伏、怪しげな浪人、油絞りの勘六らと謀り、店の金を騙り取り、久松の仕業に仕組む。
このため、久松は、野崎村の養親久作のもとに帰される。久作は、これを機に妻の連れ子おみつと祝言を上げさせようとするが、思いつめたお染が久松を追って野崎村にやってきたから、おみつは突然不幸に見舞われる。
心中を思い止まり、油屋に戻ったお染と久松を待っていたのは極めて皮肉な運命だった。

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全編の主人公は勘十郎さんが遣う小助で、お染も久松も無力な子供に過ぎない。いたいけな少年少女を大人が寄ってたかって陥れようとする性質の悪い物語だ。
同じ少女でも久作の娘おみつは、田舎娘ながら、恋を知り恋に破れ心の成長を遂げた結果、尼になるというつらい運命を選び取る。お染は、世間知らずの子供のまま、愛の何かを知らないで我欲に果てる。
簑助さんのおみつは、恋敵お染に対し激しい敵意を燃やし敢然とバトルを仕掛けて可愛いが、清十郎さんのお染はとりすましたお人形のよう。久松にからみつく宿命のファムファタルして欲しかったところだが、歌舞伎と違って文楽はこうだと思われる。
おみつの母の登場が涙を誘う。舞台はぎゅーぎゅーになるが、住大夫さんの語る一体の人形以外、ぴたっと静止する文楽の醍醐味を味わえた。見慣れると、台詞の無い人も動く通常のお芝居が煩わしく感じるのが不思議だ。
「油屋の段」では、再び小助と山家屋佐四郎、だはの勘六らが大暴れ。新たに久作の姉で久松の乳母のお庄も登場し、実は、実は、実はの大笑いと大どんでん返しと大騒動のうちに幕。
ラストの、お染と久松がそれぞれに命を断つ場面は上演されなかったが、なんとも救いの無い…。小助!あんたがいっとう悪い!
勘十郎さんは出ずっぱりのやりたい放題の活躍で楽しませていただいた。人形浄瑠璃はおぢさんの娯楽やったんや~。

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コメント

>やたけたの熊さま
へんねし。妬み嫉みの沈澱層みたいなことばですが、大阪だけでなく、京都でも使いますね。偉大な劇作家に乾杯(^^)/▽☆▽\(^^)。
小助の執拗さに、いずれにしても久松は死なんならんのですから、お染ちゃんは、おみつちゃんはなんだったんでしょ。

投稿: とみ | 2009年2月 1日 (日) 11時58分

「へんねし」ですね。男の嫉妬は恐ろしいと私も思います。女の人の嫉妬は限界があるようですが、男の嫉妬はとことんまでやってしまうような恐ろしさがありますね。洋の東西を問わず、政治家の権力闘争なども嫉妬の要素が入る場合がありますね。
おそろしや「へんねし」。

投稿: やたけたの熊 | 2009年2月 1日 (日) 00時20分

>やたけたの熊さま
とにかく舞台は満員こ。かってに動いたら、誰がしゃべってるのかわからんようになってしまいます。
住大夫師匠、簑助師匠の野崎村の切りは圧巻でした。おぢさんが、様子の良い若いカップルを妬んで苛めまくって破滅させ、溜飲下げるおぢさんのための娯楽なんですね。西洋にはオセロありますし、洋の東西を問わず男の嫉妬は恐ろしいです。

投稿: とみ | 2009年1月30日 (金) 12時23分

>ぴたっと静止する文楽の醍醐味を味わえた。見慣れると、台詞の無い人も動く通常のお芝居が煩わしく

この手法は歌舞伎にもありますね。
他の役者(人形)が静止しいているので、観客の目は動きのある箇所にだけ集中する。
映画の父(でしたっけ?)エイゼンシュタインが歌舞伎を観てモンタージュという手法を確立させたと、前進座の役者さんから聞いたことがあります。
やはり古典芸能は偉大ですね。

投稿: やたけたの熊 | 2009年1月30日 (金) 10時43分

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