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2008年11月29日 (土)

今回の「サド侯爵夫人」はなぜ事件なのか~修辞の牢獄と母権の支配からの逃走~

Phot_2サド侯爵夫人
戯曲:三島由紀夫
演出:鈴木勝秀
出演:ルネ(サド侯爵夫人) 篠井英介
    シミアーヌ男爵夫人 石井正則
    アンヌ(ルネの妹) 小林高鹿
    シャルロット(家政婦)山本芳樹
    サン・フォン伯爵夫人  天宮良
    モントルイユ夫人(ルネの母親)
                 加納幸和
美術:二村周作
衣裳:原まさみ、ヘアメイク:宮内宏明
企画:篠井英介、鈴木勝秀
製作アトリエ・ダンカン、シーエイティプロデュース
シアター・ドラマシティ2008.11.6

らすじ
フランス革命前後のパリ。舞台はモントルイユ夫人邸サロン。
1772年9月
猟奇的な事件を起こし逃走中のサド侯爵・アルフォンス。醜聞から家名を守ろうと奔走するモントルイユのサロンに、モントルイユの娘で夫を案じる貞淑なサド侯爵夫人ルネ、敬虔なシミアーヌ、悪徳の信奉者サン・フォン、無邪気なルネの妹アンヌ、強情な家政婦シャルロットと個性的な役者が集った。次第に明らかになるアルフォンスの悪行に激昂したモントルイユは、救出の嘆願から収監の陳情に切り替えた。
1778年9月
6年後。アルフォンスの釈放の知らせにに喜ぶルネに、サン・フォンは、モントルイユの画策で、アルフォンスは、高等法院から赦免後、直ちに王家の警官に拘束され、牢獄に戻されたことを暴露する。決定的に対決する母と娘。
1790年4月
さらに12年後。9カ月前に勃発した革命により、アルフォンスの釈放に期待を寄せるルネであったが気持は沈んでいた。サン・フォンは暴動で落命、シミアーヌは修道院入り、アンヌはイタリアに亡命、モントルイユはアルフォンスの悪名を利用し革命政府の貴族への攻撃を交わそうとそれぞれの思いが交錯していた。そして、いよいよその日を迎える。

実は、芝居を観終わった後、落ち込んだ。悪徳の華と褒めそやされ讃えられようとも、悪徳を禁忌とする社会が消えてなくなれば、悪徳も子供のおいたと笑い草。完全にモントルイユ目線でアルフォンスを切り捨て、そしてアルフォンスとして屹立しようとした三島まで矮小化しようとしている自分に戸惑い、沈黙せざるを得なかった。
しかも、今回プロデュース公演の“今回の「サド侯爵夫人」は事件だ”のキャッチコピーにも鼻白んだ。上梓された当時の衝撃や割腹自殺というパフォーマンスを超える「事件」があろうとは考えにくい。
出演者の優れた容姿、確かな朗唱、華麗な衣装、象徴的で精神性の高い装置、考え抜かれた演出術については申しあげるまでもない。出演者の演技に喝采し、台詞の音楽性に酔い、装飾的な修辞の愛撫に身を震わせ、完全な演劇の成功に喝采しながら、観客としては打ちのめされるとは…。

およそ1か月。一応、自分を納得させるロジックは見つかった。そして、今更ながら、三島の二重三重、いや十重二十重に張り巡らされた修辞の罠の周到さに震撼し、また、篠井×鈴勝コンビという別政体からの仕置きに翻弄されたことに驚き、最後に、罠を仕掛けながら罠ではないと、フェアな種明かしまでやってのける彼らに驚嘆できた。
拙稿の論点は、篠井×鈴勝コンビがどのように三島を読み解き見せたのかに絞る。

「サド侯爵夫人」は、三島由紀夫戯曲の最高傑作と評価されている。「サド侯爵夫人」が執筆され、初演された1965年は、原作・監督・主演の映画「憂国」が完成、9月より遺作となる「豊饒の海」四部作「春の雪」の連載が開始。ノーベル文学賞候補にもあげられ、作家として最高潮であった。そして、それは、周到に準備された「終り」を始めた年でもあった。

1 三島の罠
サド侯爵夫人は貞淑を、夫人の母親モントレイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ男爵夫人は神を、サン・フォン伯爵夫人は肉欲を、妹アンヌは女の無邪気さと無節操を、召使シャルロットは民衆を代表して、これらが惑星の運行のように、交錯しつつ廻転してゆかねばならぬ。
獄に繋がれたサド侯爵を待ちつづけ、庇いつづけて老いた貞淑な妻ルネを突然離婚に駆りたてたものは何か?悪徳の名を負うて天国の裏階段をのぼったサド侯爵を6人の女性に語らせ、人間性にひそむ不可思議な謎を描いた。


2 三島の種明かし
ルネ アルフォンスは私だったのです。
タイトルロールは、「サド侯爵」ではなく「サド侯爵夫人」。

作者は「戯曲の構成を、その場に存在しないアルフォンスを、関わりのある6人の女に語らせることによって浮かび上がらせようと意図した。」と、観客を嵌めながら、こっそり種明かしをしている。アルフォンスは物語を書く人三島、ルネは物語を生きる三島。書く人三島は、言語の楼閣に王子や姫を閉じ込めようとし、物語を生きる三島は閉じ込められる王子や姫である。また、物語を生きる三島(王子や姫)は、法、社会、道徳という俗物の別支配と闘わなければならない。これが正しい構図だ。普通の演出では分からないが、今回は、違うことは感じる。

3 鈴勝の看破と種明かし
「サド侯爵夫人」の装飾は、何か大切なものが隠されているな、と。その肝心なものは、ある意味空白かもしれないけれど、隠してしまえば「空白」意味が出てくることもあるしね。この作品は、読者も観客もつまづく。三島の作品に「分かるはず、読み解けるはず」って。読む力のある人たちは思うけど、わっかんないんですよ(笑)。

4 橋本治氏(「三島由紀夫とはなにものだったのか」の著者)との対談の中で種明かし
テーマはあるけど気にしなくていい。
もちろん「サド~」というのは、三島由紀夫が自分自身をルネに置き換え、母親との葛藤を書いた作品だと思っているけど、そんなことはどうでもいい。
これを観てテーマを考えるなんて、野暮の極みで、これは「思考をプッシュしてくれる芝居。落ち込むこともあるかな(笑)。
三島は自分の一番重要なテーマを女に仮託して出すところがある。

いよいよ結論を述べる。
鈴勝は、三島が仕掛けた罠に迫り、隠し続けてきた伏流のテーマ「母と子の葛藤」を、あからさまに、新解釈により初めて上演した。だから「事件」なのである。
ここまでくれば、ワタクシの最終結論はもうお分かりであろう。このテーマではルネは篠井、モントルイユは加納、上演は今年でなければならない。現代演劇を代表する二人の女方、一つ劇団の屋根の下で、片や花形役者、片や演出家でもある座頭。しかも、奇しくも18年振りの共演と、役者と道具立てを揃え、対立軸と枠組を明らかにしたものだった。
俗っぽい台詞の母と、迂遠な台詞の娘とが応酬する壮絶な親子喧嘩は圧巻。ルネとアルフォンスが統合し、社会通念というモントルイユと、壮絶な親子喧嘩をくり広げている。おかんという社会通念側の観客は、糾弾され、愚弄され、俗物と切り捨てられ、こともあろうにしょーもない死に方をするとまで呪われる。
ノーブルなルネに対し、へんてこな歌舞伎調の見得を見せるモントルイユは、三島好みの歌舞伎でなく花組芝居メソッドを体現する。
生きる三島ルネは、書く三島アルフォンスによって、修辞の牢獄に捕縛されているだけでなく、母権という庇護の檻に二重に幽閉されていたのだった。
終幕で、生きる三島ルネは、物語を弄して、現実社会を牢獄に反転しようとする書く三島アルフォンスを見切り、毅然と拒絶する。修辞の牢獄からの脱出により、不要となった庇護の檻にも同時に決別することが可能となった。
呪縛や懊悩を断ち切り、自立した大人として心の自由を獲得するという極めてまっとうな主題が浮かび上がる。

これは、卑猥で猟奇的な性的指向を華麗な比喩で語る戯曲ではない。幼児的な欲望と専横的な支配からの輝かしい自立を、毒々しい悪徳の華で飾り隠した、観客や読者への遠大な二重の逆説だ。いかにも、三島だ。

あーすっきりした。やっと、マイ憂国忌を迎えることができた。例により、賛否両論受けて立ちます。

P.S. 当日、同時に観劇した30代、20代のツレは、テーマは、見えているとおり「母と娘の対立」と全く迷うことなく分かっていたらしい。もっと、早く尋ねればよかった。

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演劇」カテゴリの記事

コメント

>みんみんさま
そのとおり!
スズカツのお芝居と眉に唾をつけながら劇場に出かけるのが最も正しい観劇態度でした。
三島さんは、新劇に対するアンチテーゼを目論んでおられましたが、混迷する現在、仮想にしても戦うターゲットはありません。おかんと闘うというのもさみしいな~。

投稿: とみ | 2009年1月 1日 (木) 10時50分

とみさん♪
1ヶ月も経って、ようやく感想をアップしました。
それで驚いたのは、1ヶ月も経って忘れているのか?と思ったら
1ヶ月経ったからこそ、何だか消化できたところもあるようです。
特に最後のルネのセリフと真っ直ぐな視線が印象強く
あのセリフを1ヶ月間反復して考えていたように思います。
とみさん程洞察力ある感想でないのでお恥ずかしいのですが・・。

投稿: みんみん | 2008年12月31日 (水) 20時55分

>midoriさま
コメントありがとうございます。2幕のラストより3幕の終わりに感動なさったと書いておられ、うれしくてコメントさせていただきました。ご高読申し訳ありませんでした。
花組芝居エイジのクリエイター達の刺激的な仕事に快く幻惑させていただいた終わった世代の世迷事でございました。
実は野田秀樹さんの戯曲など、対角線で同時にダイアログが進行するような、一言も聞き漏らせないお芝居大好きです。二日後にわかって思い出し泣きする事もよくあります(^^ゞ。

投稿: とみ | 2008年12月23日 (火) 22時49分

>ぴかちゅうさま
お疲れのところ、世迷事におつきあいいただき、コメントまでありがとうございました。
本当に終幕は感動しました。感動のツボが源氏物語「夢の浮橋」の浮舟の決意とシンクロし、喝采でした。自立の先の神との対峙まで読み解かれたのはさすがです。ワタクシは逃走どまりでした。
確かにこれでサド侯爵夫人は見納めてもよいように思います。

投稿: とみ | 2008年12月23日 (火) 22時28分

とみさま、どうもです!
舞台を観る時、もちろんアピールのコピーや演出家の意図も事前にチェックすることはあるのですが、私はどちらかというとマッサラで臨みたい性質なので…。
逆に観終わって色々と調べてみるなどして知ることが多く、今一度観たくなりました。
とみさまの感想は、論文を拝見するような気持ちで拝見しました。
すみません、チョッと難解で理解仕切れていません。

本当に私見なのですが、私にとっては今回の舞台で篠井&加納というキャストの共演が実現したことが、最大の事件でした!
オンタイムで二人を同じ劇団で観た記憶が脳裏に刻まれていて、その二人を又、このような刺激的なキャスティングで目撃できて、ドキドキしました。
更に、そのお二人ならではな表現で、三島を体現している姿にワクワクしました。

作品を読み解くことは、素晴らしいと思います。
でも、舞台はナマモノ。
現実に起きていることに心を研ぎ澄まして挑むのも、楽しみ方の一つかな…、と思いました。
ものすごい自分弁護ですね…。(滝汗)

投稿: midori | 2008年12月23日 (火) 20時29分

大阪公演のレポのTBを有難うございますm(_ _)m
三島作品も用心して原作を読んでから観ました。一度読んだだけではどこが面白いのかなぁという感じでしたが、それが舞台で生きた人物の生きた言葉として立ち上がるとすーっと入ってきて、世界がドドーンと広がりました。
「母と娘の対立」は加納×篠井で見応え十分でした。またそれはそれとして、ルネが夫への「貞節」を最後になって急変させるのかが大きな謎で、その解明を一番の問題意識に観劇!
篠井さんが「ジュスティーヌ」のくだりを大きな不満をもって語ることで一気に疑問氷解!自分を全面否定する夫を愛することはできないですよね。
新潮文庫版の紹介文の中にある「天国の裏階段をのぼったサド侯爵」というあたりも全てのキーワードのように思えました。それを許した神との対峙を終生続けようというルネの最後の覚悟が毅然として胸を打たれました。

投稿: ぴかちゅう | 2008年12月23日 (火) 11時47分

>hitomiさま
上演頻度は近代能楽集と鰯売、鹿鳴館が高いですね。鎮西弓張月は見てみたいです。演劇らしい演劇ですし。
バブル期には古く感じたコーラスラインが見直されてますし、エイズが不治の病でなくなるとレントがあれっと感じます。ウエストサイドまでゆくと古典です。
時代とは最も辛辣な批評家ですね。

投稿: とみ | 2008年12月21日 (日) 06時57分

TBありがとうございます。ようやく文庫本も購入しましたので読んでみます。
橋本治の『「三島由紀夫」とはなにものだったか』のなかに「松本清張を拒絶する三島由紀夫」というのがありますが私はやはり松本清張や井上ひさしにシンパシー感じます。

投稿: hitomi | 2008年12月20日 (土) 19時40分

>hitomiさま
橋本×鈴勝の母権は、実社会の母とは似て非なるもの。身につまされたり、生活感に引き寄せてはいけません。
いよいよ、一度書いて捨てたマイ暴論を披露します。「文学座」と三島が結成した文学座から独立した劇団「NLT」との関係を、「花組芝居」と篠井さんの関係に暗喩しているかのように深読みしすぎ、えらく腹が立ったのです。加納さん&花組芝居好きなんだと実感しました。

投稿: とみ | 2008年12月 8日 (月) 23時05分

とみ様、素晴らしいです。
ベストセラーの「母が重い」友人ともども実感しております。

投稿: hitomi | 2008年12月 8日 (月) 21時55分

>スキップさま
世迷事にご高読ありがとうございました。
はい、スキップさまは最初から鈴勝さんを見切っておられました。
子どもは読んだらあかん三島本、学校演劇部で上演禁止の三島戯曲というジェネレーションだけがはまる仕掛けでしょう。橋本さんが「誰が何と言おうと」と息巻いておられるように様々な説があり、サドは三島で、6人の女性にサドを賛美させ、悪徳と淑徳、牢獄とシャバ、地獄と天国、淫欲と貞潔を逆転させる遊戯というおぢさん好みのものが流布しています。
橋本×鈴勝説、そやそやとストンと納得されてさまったら、彼らは、困ってしまうのでは…(笑)。

投稿: とみ | 2008年12月 7日 (日) 18時06分

とみさま
三島某に負けるとも劣らない教養と語彙と
修辞にも彩られた力作エントリ、何度も
読み返しました。が、正直言って難しくて
理解できないところもあります(笑)。
実はこの戯曲を観るのも初めてでしたので、
>隠し続けてきた伏流のテーマ「母と子の葛藤」を、
>あからさまに、新解釈により初めて上演した。
というのは意外でした。
私が観た印象ではこれがメインテーマのように
感じましたので。
とみさまのエントリを読んで、他の人が違った
観点で演出した「サド侯爵夫人」を観たくなりました。

投稿: スキップ | 2008年12月 7日 (日) 00時10分

>飾釦さま
まったり感。至言!
客筋の三島エイジは70代以上、花組芝居エイジは50代前後。まったりエイジであることは否めません。また、往事は刺激的だった修辞は、もっと刺激的な映像がメディアに氾濫している今、日常化しています。
三島は私のなかでは終わった作家だと言いながら、こだわって上演したプロデューサーズは、本当に頑張られたと思います。
エントリは、ワタクシ好みのレトリックを構築したものであることを申し添えます。ワタクシも頑張りました。

投稿: とみ | 2008年12月 4日 (木) 07時49分

とみ様

若干の修正をされたのですね。興味深く読みました。

私はもうこの芝居は忘却の彼方になってしまっているのですが、思うに、男性の三島が女性だけの芝居を書き、登場人物が女性という設定を男性が演じるという配置。そして文字だけでも成立するんじゃないのという装飾された言葉の世界をを、わざわざ役者、それも男性の、を使って3次元の世界に劇化するという逆説。一箇所の場所の展開であるからリアルな舞台装置でもいいのが、抽象的な舞台。しかし衣装はわかりやすいリアルなもの。さんせいのはんたいではないが、演出家は無意識に深刻ぶった天才バカボンの世界を創り出してしまったのではないかと思ったりします。というのも膨大な台詞を覚え熱演する舞台上の役者とそこで語られる豊饒で微妙な感性の世界。それとは裏腹に観客席は、まったりとした状態に・・・。つまりお金を払って居眠りしにきたという。これらが裏「バカボンのパパ的世界」見えてしまうのです。だから最後にミエを切ったサド夫人は「はじめちゃん」が一瞬露呈してしまったと、そう納得することにしました。(かなり無茶苦茶なこじつけですが)

投稿: 飾釦 | 2008年12月 3日 (水) 23時36分

>悠さま
三島戯曲を橋本、鈴勝、篠井がどう読み解き、どう見せたかに絞って論考しましたので、ワタクシがどう読んだのかは、文脈が大混乱しますので控えました。
たくさんの情報量のなかから楽しみを見つけるのは骨がおれます。

投稿: とみ | 2008年12月 2日 (火) 13時01分

「母と子の葛藤」の方は、よくわかりませんでしたけど、「一番重要なテーマを女に仮託して出す」これは、今回、よくわかります。
サドの純な気持ちを、サド自身がかたっても、お前がいうな!って感じですもん。夫人が語ると信じられます。純は、殉なんですね(と、漢字変換しながら気がついてます ^^;)

投稿: 悠 | 2008年12月 2日 (火) 06時18分

>飾釦さま
最後、へばりましたので、結論を急ぎすぎました。ごめんなさい。加筆します。
今回の舞台を素直に見て、三島Who?という観客は、母と子の葛藤、分裂した自我の統合と同時に起こる、自分の足で歩きだした子と分かったようです。

投稿: とみ | 2008年11月30日 (日) 14時28分

>どら猫さま
あんまり腹立ったので、お客さん怒らしたらあかんと考えました。客席は殆どおっかさんですから。おかんの理屈では、毎日首が飛ぶというのに、娼婦と乱ちき騒ぎ、それがどないしたですよね。
それと、膨大な修辞は、言語のカタログと楽しみます。

投稿: とみ | 2008年11月30日 (日) 12時44分

とみ様、こんにちは。コメントいただきありがとうございました。

記事を読みました。実は、とみ様の記事を読んで少々混乱してきてしまいました。とみ様としては『生きる人三島にきっぱり拒絶させる。それは、同時に、ルネのモントルイユとの決別でもあった』とありますから、ルネ=自決すると決めた三島、モントルイユ=戯曲を書いた時点で生きている三島と見て、最後のルネは三島の自決の決意表明としているのでしょうか?

『テーマは、「母と娘の対立」と全く迷うことなく分かっていたらしい』とも書かれてあるので、母と娘と三島の関連性がよくわからないのです。(三島の作品はほとんど読んだことがなくて)

観劇の記憶が薄れかかっているのでなんともいえないのですが、そのあたりのことをもう少しだけ教えていただけるとうれしいです。

関係ないですけど、今月のユレイカが母と娘のテーマになっていました。

投稿: 飾釦 | 2008年11月30日 (日) 09時52分

とみ様
 サド侯爵夫人のエントリ、お待ちしておりました。
どら猫なんぞのいい加減な感想とは一味も二味も違う、深い考察にシャポーです。
 三島作品は結構、読んだつもりでおりましたが、読みが浅かったんですね。レトリックの罠は覚悟していましたけど、見事に引っかかっていたんだなぁ。

投稿: どら猫 | 2008年11月30日 (日) 01時41分

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受信: 2008年12月23日 (火) 11時24分

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