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2008年10月20日 (月)

大大阪の10年の精華・旧生駒時計店(生駒ビルヂング)

生駒時計店(生駒ビルヂング)写真

淀屋橋から北浜へ、高麗橋筋、道修町筋、平野町筋をたどる大大阪モダン建築ツアーのハイライトはここ。
旧生駒時計店(生駒ビルヂング)

所在地 大阪市中央区平野町2丁目2番12号
所有者 株式会社生駒ビルヂング
概 要
明治3(1870)年に高麗橋5丁目で創業した生駒時計店が、御堂筋の拡幅と地下鉄工事を機に現在地に当ビルを新築。昭和5(1930)年に竣工した。設計は宗兵藏。国の登録有形文化財に指定されている。
堺筋と平野町通りの南西角地に建ち、三面に時計を持ったこのビルは、近代建築が集積するこの界隈でもひときわ目を引く。スクラッチタイルの外壁に、テラコッタの窓台で水平線が強調され、陰影の深い外観を構成している。紋章風の装飾や石造の鷲が一層華やかだ。このビルを保全し,まちの風格を継承したいというオーナーの思いが煌めく。
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オーナー写真

写真左は「大オオサカまち基盤」で近代建築の保全活動を行っておられる大阪市立大学都市研究プラザ特任講師の高岡伸一氏、右は生駒ビルヂング当代オーナーの生駒氏。背景は時計塔の時計でもちろん時を刻んでいる。
写真右は、御堂筋に面して建っていた生駒時計店創業時の建物。

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

>つどいさま
関西資本が、震災後の土地を入手しようと、上京したそうです。そういえば、古代ローマでは、消防士が建物の所有者から土地を買い叩いたとか。都市と建築にとって火災及び震災は本当に試練です。災害に強い都市づくりは大切です。
さて、御堂筋拡幅は、大阪の軸線を東西軸から南北軸に変える大改造でした。平野町、高麗橋筋、道修町、淡路町にもいい建物たくさん残っています。

投稿: とみ | 2008年10月22日 (水) 00時01分

関東大震災は1923年ですが、それで谷崎潤一郎やキネマ旬報社が関西に移転。
いわば、関西の黄金時代が生まれたわけですね。

1930年は、そうしたムーブメントがピークに達した時代ですね。
そうした時代の息吹を感じる楽しみが、近代建築巡りやと思います。

投稿: つどい | 2008年10月21日 (火) 16時13分

>つどいさま
基本的に居留地ですね。小樽の方がイメージ的に居留地に近いです。芝川ビルのオーナーさまも生駒ビルヂングのオーナーさまも、関東進出を目指し震災後の東京を視察し、耐火性と耐震性の重要性を認識なさって、建造なさったようです。堺筋の役割も重要なポイントですね。

投稿: とみ | 2008年10月21日 (火) 12時51分

おとみ様の原風景のひとつですね.

生駒時計店の向こう側には近代建築ではありませんが,小西家があったように記憶しています.
また,堺筋倶楽部などもありますね.

大阪堺筋とその周辺は近代建築の宝庫です.
そうした点からは,神戸の旧居留地とも似ている気が致しました.

そして1930年は,やはりキーになる年なんだというも思いました.
いろいろ,発想が広がるエントリー有り難うございました.

投稿: つどい | 2008年10月21日 (火) 06時53分

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