保存再生された中之島公会堂と建て替えが決まった歌舞伎座
今月は、近代建築ブログになりつつあるので,この際開き直って…。
中之島公会堂の風格ある佇まいに、1920年代の夢へ思いを馳せていたところ,歌舞伎座の建て替え本決まりのニュースを知った。
中之島公会堂(1918年),歌舞伎座(1924),いずれも大正から昭和戦前期を代表する建築家・岡田信一郎氏の作品である。
岡田信一郎(おかだしんいちろう)1883〜1932
大正、昭和戦前期を代表する建築家。1906年(明治39)東京帝国大学建築学科卒業。1907年東京美術学校(現、東京芸術大学)講師、23年(大正12)同教授。西欧の古典主義建築から和風建築まで自在にこなし、「様式建築の名手」と評された。
1912年、大阪市中央公会堂(中之島公会堂)の設計競技で、多くの先輩建築家をおさえ1等に入選、建築家として華々しいデビューをかざる。
大阪市中央公会堂(旧中之島公会堂)は、日本の近代建築史上重要な作品として2002年(平成14年)12月26日、国の重要文化財に指定された。1999年(平成11年)3月から2002年(平成14年)9月末まで保存・再生工事が行われ,同年11月にリニューアルオープンした。
岡田は、東京歌舞伎座(1924)の意匠においては、鉄筋コンクリート造でありながら桃山風の華やな破風をもった和風の建築にまとめあげている。1945年(昭和20年)5月の空襲により焼失したため、 1951年(昭和26年)に、昭和の和風建築の雄・吉田五十八(よしだ・いそや 1894-1974)により修復改装された。2002年には、国の登録有形文化財に登録され、社団法人日本建築学会からも保存の要望書が提出されていたが、このたび建て替え構想が発表された。
竣工 1924年(大正13年)12月
所在地 東京都中央区銀座4-12-15
意匠設計 岡田信一郎、吉田五十八
構造設計 内藤多仲(ないとう・たちゅう 1886-1970)
施工 大林組
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て、一部5階、地下1階
建築面積 3,787平方メートル
国登録有形文化財(2002.02.14)
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コメント
>ひーさま
観客の力もさることながら、都民の皆様のお力にすがりたいです。本当に多くの皆さんに愛された劇場でした。
そういえば、横浜そごうの閉店は10月26日でした。さぞ凄い人出のことでしょう。近いところでは、京都駅前の丸物百貨店(プラッツ近鉄)が解体工事中です。
投稿: とみ | 2008年10月22日 (水) 22時06分
>はなみずきさま
歌舞伎座の建て替えのニュースは反響すごいですね。いかに多くの方に愛され、ドラマを作ってきたか、今更ながらしみじみです。
あ、大阪松竹座映画館だった時代存じてます。南座のリニューアルは平成3年でしたね。
なんとか働きすぎないで永らえ、新劇場で歌舞伎が見たいです。
投稿: とみ | 2008年10月22日 (水) 22時01分
東京歌舞伎座の建替えのニュースを聞いたとき、当然中ノ島のときのような建替えをするもんだと思ってたのですが、完全な立替で決まっちゃったんでしょうか?
ぜひとも、外観保持を希望します。
中ノ島公会堂も市民の声で外観保存に変更されたことですし、歌舞伎座も同じようにならないかなー・・と期待しちゃうんですが・・・無理かな?
投稿: ひー | 2008年10月22日 (水) 10時35分
おはようございます。貴重なお話を伺い、歌舞伎座という建物の「寿命」がもう少し延びたら…と思わずには居られません。
私、夜の歌舞伎座、大好きなんです。昼間に見上げるよりも、より魅惑的に感じられます。夜の歌舞伎座の写真をアップしていただき(そして、構図も素晴らしい!)、感謝です。
投稿: はなみずき | 2008年10月22日 (水) 08時13分
>つどいさま
三休橋筋のアイストップには中央図書館が見えます。通りと建造物は呼応しますし、道路と山頂は意識して都市計画されます。橋と窓で見つめあえるとはロマンティックですね。
難波橋から中之島公会堂の写真はあーと思って望遠で撮影しました。この曲線は地下空間と地上へのシークエンスを楽しむための仕掛けだとか。専門外なので、なんとも申し上げようがありません。
投稿: とみ | 2008年10月22日 (水) 00時11分
何度も登場,スイマセン.
阪神淡路大震災の後で,中之島公会堂に行ったところ,館長さんが最上階にある貴賓室のカーテンの修理ができず,裂かれるにまかせる状態をなんとかしたいと,熱心にお話されたことが蘇ります.
そのカーテンの向こうにはなにわ橋がきれいに見えました.
お互いが見つめ合う風景があるんやと思った次第です.
さて,おとみ様の写真でも京阪中之島線なにわ橋駅の出入り口が中央公会堂を切っているように思えます….
駅から地上に出るシークエンスは楽しいのですが,お互いに見つめ合う風景を衝立で邪魔しているかなあ.
これも時代と共に馴染めば良いのですが,さて,さて.
投稿: つどい | 2008年10月21日 (火) 23時31分