伏見「寺田屋」が幕末の建物か否か市が調査
土佐の坂本龍馬の定宿として、また、薩摩藩士の内紛「寺田屋騒動」で著名な伏見区南浜町の旅館「寺田屋」を、当時の建物か否か、京都市産業観光局が調査することとなった。これまでの表示が誤認によるものであれば、改善を求めるとか(by 京都新聞)。
なぜ、夜、寺田屋の前にいたのかな(^^ゞ
もの好きも大概にせいと言うところだが、城下町伏水と大坂の共通点と違いが突然気になった。
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コメント
>みよ吉さま
お忙しいところコメントありがとうございます。
寺田屋の真偽についてはWikipediaにも記載されています。木造建築は手を入れて更新してゆくものですから、何がオリジナルか改修か分かりにくいこともあります。文化財でも解体修理をすることもあります。建築物の価値でない付加価値により価格設定を行っているのなら、説明責任があるというところでしょうか。
夕顔のお墓を拵えちゃう京都のメンタリティ、義仲の死後、我こそ巴と現れた里の女…。あまり考えてませ~ん。
投稿: とみ | 2008年9月13日 (土) 01時13分
とみさま
遅ればせながら、コメントさせていただきます。
寺田屋の件、関西のニュースでやってましたね。
私、目下複雑な思いです。じつは、写真教室の友人は車運転に自信のあるので、 「寺田屋へ行こう」 と誘われたのがもう5~6年前。
柱の刀傷もあったし(丸くなってた) おりょうさんのお風呂も拝見
昔の人は小柄だったんだね・・なんて。竜馬の世界を満喫してきたんです。
福岡の友人(博多座公演の時一緒)が、坂本竜馬が大好きで
「寺田屋を案内してあげるよ、鳴神の雲ケ畑もね」 なんて約束してるんです。
私、平家が大好きで、ゆかりの京都行脚をしたり・・・です。
投稿: みよ吉 | 2008年9月12日 (金) 11時41分
>Singing Fujisanさま
笑って頂けて何よりです。新聞に掲載されたのは3日。Wikipediaにも掲載されています。
建築もさることながら、宇治川派流の水運網、城下町らしい町割りと道路網、酒造業の町の香りが揃って、トータルに歴史的界わいを形成しています。食物も美味しいです。
今月は歌舞伎が東高西低ですので、お江戸遠征ですが、拝見するのは、上村吉弥丈のお登勢さんがおられる歌舞伎座昼の部に絞りました。
素敵なカップルが目に浮かぶようなコメントありがとうございました。
投稿: とみ | 2008年9月 9日 (火) 20時52分
タイムリーな情報でごわす。
。染五郎さんの清新なアツい気持ち、亀治郎さんのおきゃんで可愛らしい聡明さに胸が高鳴りました。でも、私はまだ寺田屋の前に立ったことがございません
というのも、今月歌舞伎座昼の部「竜馬がゆく」第二幕第二場の舞台が寺田屋なんですよ。竜馬がおりょうに結婚を申し込むのが、寺田屋が襲撃された夜
夜、突然、思い立って、ってええどすなあ。
投稿: SwingingFujisan | 2008年9月 9日 (火) 18時38分
>つどいさま
歴史好き研究好きの方々の数の多さはつどいさまもよくご存じのとおり。そのご熱心さと研究の水準の高さにも瞠目いたします。
刀疵やかえり血などは創作であってはなりませぬ。
ワタクシ目のような有象無象の者で、そう信じた方が楽しければ、それでよいという輩とは違いますね。
ビアホールは健在のようです。
投稿: とみ | 2008年9月 9日 (火) 12時56分
>火夜さま
カンパニーの代が変わっても、営業形態が残っていることと、その様式の建築が存続することが大切です。最新の研究結果を表示するのは当然ですが…。 昼間にはなりを潜めていたものがばっこするような、…確かに夜は雰囲気あります。
投稿: とみ | 2008年9月 9日 (火) 12時45分
>スキップさま
夜の京都のさんざめきと無縁の生活ですので、ただの変な人です。さて、お登勢さんの御宿ですよね~。
個人的興味で、寺田屋の前の宇治川派流に架かる橋から、京橋を見たかったのと、京橋と伏見桃山城との距離や高低差が気になりまして。変ですね。
投稿: とみ | 2008年9月 9日 (火) 12時30分
国民的人気番組「篤姫」の9月7日放送は,とみさまご紹介の寺田屋事件が大きなテーマでしたね.
番組最後におまけで放映される,その回のゆかりの地紹介では,当然,寺田屋が出てくると思っていましたが,7人の菩提寺でしたね.
きっととみさまがお書きになっているように寺田屋の建築物に関する歴史性に疑義が出てきたから,急遽,お寺に差し替えはったんやと思いました.
確か,あの辺りにに地ビールのお店があったと思うのですが,どうなったのかなあ.
投稿: つどい | 2008年9月 9日 (火) 09時36分
昼間は観光客だらけだから夜のほうが風情があってよさそうですね〜。
もし当時のものでなかったとしても、寺田屋は寺田屋です!
投稿: 火夜(熊つかい座) | 2008年9月 9日 (火) 05時54分
>なぜ、夜、寺田屋の前にいたのかな
とみさま、おもしろ過ぎ
日曜日の『篤姫』で、ちょうど薩摩藩士の「寺田屋」が
出てきて、「そういえば竜馬もなぁ~」と思いをはせて
いたところでした。
寺田屋、私もまた行ってみよっと。
投稿: スキップ | 2008年9月 9日 (火) 00時37分
>花かばさま
お察しのとおり、鑓権の妻仇討ちの場面がなぜ京橋なのか、行ってみたら分かるかもと、突然思い立ちました。分かりませんでしたので調べものは続きます。
投稿: とみ | 2008年9月 8日 (月) 23時56分
薩摩の悲しい歴史の寺田屋ですね。
幕末の小説読み凄惨な切り合いがあった事を知りました。が、確かに何故夜にいはったんです?
投稿: 花かば | 2008年9月 8日 (月) 20時55分