« 京都新聞にNINAGAWA十二夜ロンドン公演の記者会見の記事が掲載 | トップページ | 控えめ初秋お江戸遠征します。 »

2008年9月18日 (木)

河原町蛸薬師下る近江屋跡・坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の石碑

200809182207000_2その日は慶応3年(1967年)11月15日。たかだか140年前、そう遠い昔のことではない。この地、近江屋を襲った刺客により,海援隊長坂本龍馬(1835~67)・陸援隊長中岡慎太郎(1838~67)は暗殺された。ともに土佐藩出身で薩長連合の功労者であり,大政奉還がなり、夜明けを前にしての最期だった。
この時代を駆け抜けた志士の群像は、30年余りの短い生涯に、或いは人生の早い時期に偉業を成功させている。
21世紀の京では、生命財産が日常的には危うくない幸福を思い、それなりにリセットして歩き続ける。ワタクシって謙虚なのかしらん。

慶応3(1867)年11月15日夜,


所在地 中京区河原町通蛸薬師下る西側

|

« 京都新聞にNINAGAWA十二夜ロンドン公演の記者会見の記事が掲載 | トップページ | 控えめ初秋お江戸遠征します。 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

>花かばさま
ほんまもんの都市は、同化力。地方や異国から来た者を短い期間にその土地に生きる現有戦力として磨き上げるオンザジョブトレーニングシステムと、耽溺させる娯楽の悪所の存在です。
幕末の京都は、地方から出てきた青年を短い期間に政治家に育て上げる力がありました。集まり衝動し淘汰しあうという、市街戦の町になってしまうというえらいめにあいましたが…。

投稿: とみ(風知草) | 2008年9月20日 (土) 09時30分

京都のすごい所は、何百年も前の歴史が普通に今も、あちこちの有る事ですね。
3代続いて「江戸っ子」や言いますが、京はスパンが長いですね。
戦乱に次ぐ戦乱の舞台には、妖怪もぎょうさんいてますね。

投稿: 花かば | 2008年9月20日 (土) 08時17分

>つどいさま
ほんとうに…。イマジネーションだけが道連れでも、様々な時代を散策できるのが京都の愉しみです。
歴史は、暫時動くのではなく、動くときはいつも激甚というのが感慨深く、懸命に生きる男たち、女たちが愛しいです。

投稿: とみ | 2008年9月19日 (金) 23時36分

>スキップさま
コメントありがとうございます。
140年といえば、聞き伝えの積み重ねで到達できる情報もまだ残っています。歴史の鍵は個人に委ねられることもあるのが、また奇跡です。

投稿: とみ | 2008年9月19日 (金) 10時24分

龍馬・慎太郎遭難碑にしても,池田屋の跡にしても,その他の維新関係の事件が起こった場所が,歩いてほんの数分~30分以内にある訳ですね.

この狭い範囲で時代が蠢いていた時があったと思うと,ホントに不思議な気持ちになります.

きっと,彼ら彼女らは道々ですれ違っていたりもしたのでしょう.
おとみさまの記事は,いつも場所の記憶を呼び起こしてくれます.
この調子で,よろしくお願い申し上げます.

投稿: つどい | 2008年9月19日 (金) 09時33分

とみさま
先日歌舞伎座で竜馬と中岡慎太郎の活き活きとした姿を拝見したばかりですので、二人の最期の地をこうして写真で見るだけでも泣きそうになります。たかだか140年前・・・ほんとにそうですね。
とみさまは今週末のご観劇ですね。
ご感想を読ませていただくのを楽しみにしています。

投稿: スキップ | 2008年9月19日 (金) 03時02分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 河原町蛸薬師下る近江屋跡・坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の石碑:

« 京都新聞にNINAGAWA十二夜ロンドン公演の記者会見の記事が掲載 | トップページ | 控えめ初秋お江戸遠征します。 »