人形の家・20日(土)ソワレ
A Doll's House
作:ヘンリック・イプセン
演出:デヴィッド・ルヴォー
出演
ノラ/宮沢りえ、ヘルメル/堤真一、クロクスタ/山崎一、ドクター・ランク/千葉哲也、リンデ夫人/神野三鈴、乳母/松浦佐知子、メイド/明星真由美
ものがたり
銀行の頭取に就任することになった弁護士ヘルメルとその妻ノラ、3人の子供からなる幸福な家庭では、クリスマスの準備に余念がない。そこへ、旧友のリンデ夫人が、就職の斡旋を願ってきた。ノラが、夫に頼んだ結果、リンデ夫人は職を得られることに…。しかし、このあおりで失職したヘルメルのかつての親友クロクスタが、復職させないと夫に秘密をばらすとノラを脅迫してきた。
ノラの秘密とは、ヘルメルが重病に罹ったときに、治療費を借金したことだ。女性名義では借りられないため、病床の父の署名を偽造しての仕業だった。明るみになれば犯罪だ。
何とか最悪の事態を回避したいと、さまざまな手を打とうとするが、ノラにできるのは、時間の引き延ばしだけだった。そして、遂に、クロクスタから暴露の手紙が届く。 真実の姿をぶつけあい対決する夫婦。ノラは、自分の採るべき道を選ぶ。
“近代演劇の父”と呼ばれるノルウェーの劇作家イプセン(1828~1906)の代表作「人形の家(1879年発表)」が、デヴィッド・ルヴォー氏の演出で現代に蘇る。その結末から、社会派の戯曲と称され、フェミニズムの教義のように祀り上げられた作品だが、家庭内コミュニケーションの不在、モラルに固執した硬直的な人間関係がもたらす悲喜劇と、近代社会が背負い続けなければならない重~い命題を突き付ける。
拝見したのは20日(土)夜。客席を四方に配した正方形のステージは光で縁どられ回転する。開幕前にはステージは紗幕で覆われ、中では三人の子供たちが遊び、幸福な家庭のガラス展示のような作り物感を感じさせる。装置は全て子供サイズの家具で構成され、「人形の家」の主題を象徴する。
主演の宮沢りえさんは、3幕ほとんど出ずっぱりで膨大な量の台詞をこなし、しかも、概ね3時間、秘密がばれないかと、はらはらどきどきの連続。胃がぎゅーと締め付けられるような演技で全編を引っ張っておられた。痛々しいほど美しく、折れそうなほど細く、泣きたくなるほど無力で、出来ることは、夫や自分を慕う男に思わせぶりな態度を取ることだけ。ハイ、全面的にりえちゃんの味方です。こんなに感情移入させてもらえるとは、凄い俳優さんだ。
夫役の堤さんは、役を掘り下げ、無神経でイノセント、自分を正義と信じて疑わない類型的な男を演じておられた。体格が良く、威圧感があるので、りえちゃんでなくとも恐れるのが納得。
背信と破滅の使者クロクスタにも、それなりの物語はある。かつてはヘルメルと肩を並べる実力もあり、リンデ夫人になる前のクリスティーネとも一度は恋仲だった。急転直下、クロクスタとリンデ夫人は、新しく前向きな道を選択する。
ひそかにノラを思い続けてきたドクター・ランクも、報われることの少なかった長くもない人生の舞台から降りなければならない。
謙虚で慈愛深い乳母のアンネ・マリーエ、仕事に忠実で口の堅いメイドのヘレーネ、皆さん、ひとりひとりの輝かしい人生を描いておられた。
問題のラストシーン。
子供サイズの家具調度はすべて取り払われ、大人サイズの椅子が2脚のみ。夫婦ごっこ、幸福な家庭芝居ではなく、初めて、人間として大人として二人は対峙する。お衣装も、それまでのスカァトのヴェルチュガダンを取り去り、タイトでモノトーンになっている。
「私あなたの人形だったの」
「あなたの好みを自分の好みだと思ってた、またはそのふりをしてたかのどちらかね!」
「愛していないと強く、確信している!」
「もう他人の家にはいられないの」
寝耳に水、何が起こっているか分からない夫に、狭い知識しか無い頭で考えた結論をとくとくと訴える一方的な宣告に、観客の大半からの共感は無理と思われるが、無理無体、やけくそ暴論でも、りえちゃんなら許す。
作品の結末は、夫婦の破局だが、演出は、それぞれの道を歩き始めた男女の未来が暗澹だけではなく一縷の明るさを見せて終わる。心の絆を結ぶには、既成のモラルや借り物の正義ではなく、学習を積んだクレバーな頭脳で考えて得た自らの真理と、裸でぶつかる愛情を通じて初めて可能となるというイプセンのメッセージを浮かび上がらせる。
社会経済が複雑になるにつれ、家族の危機を救うに十分な金銭を、右から左に融通できないことは男も女も等しい。今は、130年前より深刻かもしれない。全く色あせない戯曲の力に敬服し、後の世のありようと、演出家さんたちが創出なさる舞台に思いを馳せ、感謝の気持ちでコクーンを後にした。
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コメント
>ぴかちゅうさま
自ら輝きを発露し、他者の命をも輝かせる力は、女性に均しく天が与え給うた恩寵と考えるようになりました。宮沢りえさんは、全ての女性のノラは私かもしれないを背負える希有な俳優さんであられます。
ゆっくり拝読に参ります。
投稿: とみ | 2008年10月11日 (土) 09時25分
当日の簡単な記事にコメント有難うございました。ようやくちゃんとした感想をアップしたのでTBさせていただきますm(_ _)m
ノラは元々一生懸命生きている女だという個性の持ち主という風に捉えました(その魅力が夫もランクもひきつけたのでしょう)。無知なまま夫にとっての良妻でいることに一生懸命になる価値のない男だと気がついてしまった時=自分の現状を変えなければならないと自覚した時、その命のエネルギーが高いという資質があったからこそ一気に大きな飛翔ができたのだと思えます。
それにしても宮沢りえの魅力を最大限に活かした舞台だったと思います。全キャストがルヴォーの描きたかった「人形の家」の人物を生きていたし、堪能できて幸せでした。
投稿: ぴかちゅう | 2008年10月11日 (土) 02時55分
>麗さま
待っていただきましたとはおそれいります。
当時の観客は、男性か夫婦連れだったのでしょう。いまのような観客の大多数が高収入の女性ということになると受け止め方が多様になっていいですね。
女性の大多数が、リンデ夫人、乳母、メイドというのが現実です。
投稿: とみ | 2008年10月 1日 (水) 10時43分
とみさんの感想、お待ちしてました!!
すごく堪能されたようですね。
しかも、全面的にりえちゃんの味方ですか。(笑)
ノラの反撃は、小気味良かったですねぇ~。
寝耳に水状態のトラヴァルに「愛してない」と言い放つノラを、
格好いいとさえ感じました。
でもその反面、、、
家を飛び出して一人で生きていけるの?
そのまま大人しくしてれば何の苦労もなく生活していけるのに。
っと思ってしまったのも事実。(笑)
自分ならどうするかな~っと考えさせられてしまいました。
多分、ノラと同じ選択をしてると思いますが・・・。(笑)
投稿: 麗 | 2008年10月 1日 (水) 00時27分
>悠さま
。
副筋と副主人公が主演と拮抗する重さを持った戯曲は、お得な感じがします。夜神月とLくらいしかすぐには浮かびませんが
それにつけても胃に良くないお芝居でした。
投稿: とみ | 2008年9月30日 (火) 17時05分
>クロクスタとリンデ夫人、
>ノラを思い続けてきたドクター・ランク
こちらの物語が、ノラ夫婦と対になってる気がしました。
「近松心中物語」の主役二人の対である「お亀と与兵衛」みたいに。
いつも、対の方に惹かれてしまうんクセがあって、今回も、リンデさんと、ランケの方に惹かれてしまってます、私。
投稿: 悠 | 2008年9月30日 (火) 09時15分