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2008年8月 7日 (木)

海老蔵丈も変化(へんげ)と聖(ひじり)リバーシブル・世界遺産熊野古道から来た男

歌舞伎座にて七月大歌舞伎を観劇し,下書きのままだった昼の部。
玉三郎丈は,夜の部の泉鏡花センセの2作品を,一連の物語として構成すると仰ったが,どうしてどうして,そんな見え見えの趣向だけで納まるお方ではあられまい。そこで,本エントリでは,義経千本桜・狐忠信編と泉鏡花二部作,昼夜の枠組について読み解いてみる。論点の甘さは,ミーハーモードでカバー。これはおとみの見立てという論考の娯楽,例によって,賛否両論受けて立ちますぅっ!

昼の部は,三大義太夫狂言のひとつである『義経千本桜 市川海老蔵宙乗り狐六法相勤め申し候』狐忠信&リアル忠信&源九郎狐は,通しで海老蔵丈,静御前は「鳥居前」が春猿丈,「吉野山」と「川面方眼館」が玉三郎丈だ。
鳥居前の配役とシチュエーションが夜叉ヶ池と綺麗に符合し,吉野山と高野聖の水浴の場が相似形となっている。中央のセクシーな樹木にも注目。昼の部の主演狐忠信は異形のもの,夜の部の宗朝は高野の聖人。海老蔵丈も聖魔を違和感なく内包する得難い俳優さんであることを示された。
さらに,吉野山も高野山も紀伊山地の霊場の終点だ。変化も聖も共存するトポスからやってきた男はどちらであっても良いような…。
雨乞いの生贄となった源九郎の両親は狐。狐は陰の動物なので水を呼ぶという民間信仰は文化の域だ。その他細かい符合は数知れず。玉様の拘りは,考えれば考えるほど迷宮のように興は尽きない。
ただ,「川面方眼館」の静は,この組み立てで読み解くと,笑三郎丈でなければならなくなり,アップを躊躇っていた。諸兄姉のコメントを頂ければ先へ進めるかもしれない。

鍵は飛鳥の黒髪。地上に匿って貰えるところのない義経が休める吉野山の川面方眼館は,真贋逆転した実は異界である。飛鳥が黒髪の理由は,7百年後の万年姥が若妻だった頃のお姿だからだ。漠然と数百年前はさぞお美しかったに違いないと申し上げたが,玉様はちゃんと見せておられる。おかげで吉弥贔屓はいい思いをさせて頂きましたぁ!

鳥居前
佐藤忠信実は源九郎狐/海老蔵
源義経/段治郎,静御前/春猿
早見藤太/市蔵,武蔵坊弁慶/権十郎

義経は都を落ち,西国を目指して伏見稲荷までやって来た。そこへ静と弁慶が追いつき,弁慶は同道が許されるが,静は許されず,義経は初音の鼓を静に授け,静を梅ノ木に縛り付けて立ち去る。追手の早見藤太がやってきて,危うし静。そこへ忠信が駆けつけ,藤太を討ち果たす。
鳥居前は初見。狐忠信編の発端で七月大歌舞伎のプロローグに当たる。荒事で魅せる忠信がカッコよろし~。時々見せるきらーんとした目ヂカラに狐さんの片鱗が…。
義経公は,兄を慕い,二心ない清い忠誠を誓うが,美しい心根故,汚濁の巷の都や鎌倉に住めず,聖地・吉野山を目指す。醜い人間世界と決別せざるを得ない義経公が段治郎丈,静御前が春猿丈というのが,夜叉ヶ池と符合する。ご丁寧に,縄目の静と百合もマッチ。春猿丈は被虐が似合う。うひひ(`´)ノ☆(((*;・)ゴメンナサイ。早見藤太の市蔵丈は,富山の薬売りと呼応のようだ。

吉野山
佐藤忠信実は源九郎狐/海老蔵,静御前/玉三郎
義経主従が,吉野山の川連法眼のもとへ向かったという風の便りに,静は,忠信と共に吉野山へ向かう。忠信は,静が初音の鼓を打ち鳴らすと,いずこともなく姿を現すが,なんだか変。満開の桜に浮かれ,忠信と静は,義経から賜った鎧と初音の鼓を取り出し,八島の合戦の様子を物語る。
南座で,通常バージョンは拝見している。あのときは,女雛男雛のポスターだった。
装置が現れると歓声が…。吉野川だ。センターの巨木が良い感じ。高野聖の岩山の装置と対応し,深山幽谷の神性を表す。花道からではなく,上手山道から静の登場だ。ここに遊ぶ静と忠信は,もはや異境のものだ。
通常は清元と竹本の掛け合いのところ,今回は原作に忠実に竹本のみでの上演。お衣装もポスターの絢爛豪華な刺繍でなく,比較的シンプルな赤姫。ウツクシ~。
海老蔵忠信は一転して二枚目の拵え。義太夫に忠実に,狐の人形を遣う。ここでも,動物の人形大活躍の夜の部への伏線が…。

川連法眼館
佐藤忠信・源九郎狐/海老蔵
静御前/玉三郎,源義経/門之助
川連法眼/寿猿,妻飛鳥/吉弥
駿河次郎/薪車,亀井六郎/猿弥

川連法眼館に匿われている義経のもとへ,忠信が単身参上する。忠信は郷里の出羽にいたといい,義経は激怒。そこへ,静と佐藤忠信が現れたと告げられる。
静と義経は再会を喜び合うが,忠信はどこかへ…。初音の鼓を打つと忠信が姿を現した旨を告げると,義経は忠信の詮議を静に命じる。果たして,静が初音の鼓を打つと姿を現す。
狐言葉での告白が見どころ聞かせどころ。両親の皮で作られた初音の鼓を慕って,親孝行が出来なかった埋め合わせに,せめて鼓に付き従ってきたのだと涙ながらに話す。肉親の縁薄い義経がその話に心を打たれ,狐に同じ運命を見出し,初音の鼓を源九郎狐に与える。
リアル忠信と源九郎狐の演じ分け,早替わり,欄間抜けや欄干渡り,大立ち回り,宙乗りでなど海老蔵丈のテクニックの見せ場の連続だが,基本は,親を慕う狐忠信の情愛が胸を打つ。クライマックスの花吹雪を一杯浴びさせて頂きシアワセ。あー楽しかった。
骨肉合いはむ醜い人間世界の争いを余所に,怪異の世界では,真義を重んじ,家族の恩愛を大切に育む。
『源九義経の義(よし)という字を読(よみ)と音(こえ)。源九郎義経(ぎつね)付添いし、大和言葉の物語りその名は高く聞こえける』
結びの詞は,義経も異境の者として,新しい世界に迎え入れられたことを語る。かーんむ天皇の御代から源平の合戦の時代へ。そして,雨乞いの系譜は一気に七百年を下り夜の部に続く。

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歌舞伎」カテゴリの記事

コメント

>ぴかちゅうさま
はい、火夜さまにセクシーな木の存在の指摘を受け、桜姫の興行時の三社祭の雲と三囲社の場の雲の一致を思い出しました。
また、拙文は、感想ではなく見立てであることに飾釦さまに気付かせて頂きました。
六条亭さまに頂いたキーワードは仏教用語の融通無碍(ゆうずうむげ)。つまり仏心はあらゆる結界を易々と水のように越えてゆくというものでした。聖魔リバーシブルがワタクシの限界でした(自爆)。
修業じゃー。

投稿: とみ | 2008年8月13日 (水) 21時17分

TB&コメントを有難うございますm(_ _)mブログというのはお互いにインスパイアーできたりするところが面白いですね。
昼の部の狐忠信も親が雨乞いの贄となり、夜の部の百合も雨乞いの贄にされそうになる・・・・・・このご指摘、特に興味深かったです。
>見立てれば何倍にも楽しくなるとお思いになりませんか......これもまたなぁるほど!でした。そこまではなかなか頭が回りませんが、これからも楽しみにさせていただきますね。

投稿: ぴかちゅう | 2008年8月13日 (水) 10時53分

>六条亭さま
>聖と魔界を融通無碍に行き来
コメントありがとうございます。
この詞が上手く見つからず,タイトルは聖魔リバーシブルにしてしまいました。ハズカシー。しかし,二年前の天守物語と海神別荘からのセオリーで間違いないと思います。
細々した符合は見立てですのでお目汚しと思し召せ。

投稿: とみ | 2008年8月12日 (火) 23時42分

コメントが遅くなり、申訳ありません。

とみさまのご高説早速拝読しました。まだ私の千穐楽夜の部の感想が書き上がっていないのですが、首肯できる論点ばかりですね。

たしかに昼夜で水が大きなポイントになっていますね。親狐が水乞の生贄となったことに対応して、夜叉ヶ池でも同様ですし、高野聖も癒しの水という民俗学的伝統をふまえるとともに、好色な男たちを獣に変える妖しの水でもあります。ですから、吉野山での吉野川はとても重要な意味があるのでしょう。

その他多くの一致する点がありますが、今回の公演で海老蔵さんも、玉三郎さんと同様聖と魔界を融通無碍に行き来できる稀有な役者さんであることを立派に証明しましたね。

白髪の万年姥が飛鳥の七百年後の姿とは!卓見です!

投稿: 六条亭 | 2008年8月12日 (火) 21時10分

>飾釦さま
玉三郎丈と海老蔵丈のコンビは,二年前,海神別荘と天守物語を昼夜で演じておられますので,聖魔リバーシブルです。
実は,役者さんの芸に全く言及できなく,劇評を書けない風知草の限界を感じておりましたが,開き直って,見立て屋としての性格付けが出来た気がします。

投稿: とみ | 2008年8月11日 (月) 23時36分

とみ様

こんばんは。
早速小生のブログにブックマークをさせていただきました。

とみ様のブログにコメントを寄せていたhitomi様の文章で、朝日新聞のことを知り、本日の小生のブログの記事とさせていただきました。もしよろしければご覧下さいませ。

投稿: 飾釦 | 2008年8月11日 (月) 20時38分

>飾釦さま
ワタクシは歌舞伎は,初心者です。
しかし,天の岩戸が開いて以来の日本人の「遊び心」である「見立て」,「判じ」,「書き替え(リメイク)」,「本歌取り」を楽しむ目は持っています。浅葱色が空気の色で美しい若者を示す等,色や図像にセオリーあります。
ワタクシのエントリで行っているこのようなレトリックを「見立て」といい,文責と著作権はおとみに帰属するものです。
実は,同じ座組では,俳優さんのランクや芸風により,類似のお役を担われますので,ある程度似た枠組の狂言を選ぶことになるのでしょう。そう説明してしまえば,当たり前のことが,見立てれば何倍にも楽しくなるとお思いになりませんか。
リンク,ちゃんとした記事は月に一度くらいしかありませんが,差し支えございませんです。

投稿: とみ | 2008年8月 9日 (土) 21時30分

とみ様

歌舞伎座の公演、昼の部は観ておらず、また歌舞伎自体が詳しくない(初心者以前)ので、とみ様の考察の凄さが実感としては理解できないのですが。7月に上演された作品がすべてリンクしてくるとしたら、びっくりです。そこまで玉三郎は意識していたのでしょうか?となると玉三郎の感性はどこまで深いのでしょう。先日NHKで特集された玉三郎の番組を観ていると、その徹底振りには感服。ただものではなにことを知りました。彼ならありえますよね。

ところで、とみ様のブログは深いのでぜひ小生のブログにリンクさせてください。お願いします。

投稿: 飾釦 | 2008年8月 9日 (土) 15時33分

>hitomiさま
御園座で,海老蔵丈忠信,静・門之助丈で見ました。
あー,肝心の飛鳥を書き落としました。加筆,加筆…。これ書くとまた,苦しくなるのですよ~。
地上の鳥居前,結界を越える道行,到達点の異界の四の切。演出的には3人の女形リレーで,白雪と四の切の静が座りが良いように思います。剣ヶ峰の若様と義経,万年姥と飛鳥,鯰入と亀井六郎がマッチしますし…。
玉様の静はワタクシ的には吉野山だけで堪能しました。
歌舞伎のことなーんも分かってませんので,四の切がどれほど特別な演目か,知らないで書き放題してます(^^ゞ。

投稿: とみ | 2008年8月 9日 (土) 11時14分

いつも感服です。観劇前後にこのような名考察に出会うことが出来、幸せな時代です。

今朝の朝日に丸谷才一の「高野聖劇化への一提案」が載っています。

投稿: hitomi | 2008年8月 9日 (土) 09時38分

>火夜さま
ご高読ありがとうございました。
例によってエントリは育てるものと心得ております。論旨の骨組みだけ立ち上げましたので,修辞とレトリックは追々整えます。
吉野川の水は回しては目障りだったでしょうね。
はい,全編の主人公は海老蔵丈です。異界から人間界に来て人の心を暖めて戻って行かれました。宗朝さんは,人間界から異界に迷い込み帰って来られました。
また,人間界から異界に飛翔した義経静と晃百合のカップル。うろうろして犠牲になった藤太と薬売り。正に心の清い者だけが結界を越えたり,往復できるという玉三郎丈の美意識の高嶺でございます。
細々お気付きの点がありましたら,お教えくださいませ。

投稿: とみ | 2008年8月 8日 (金) 12時52分

春猿さんのあれは、ほんまに“うひひ”です、やばいです。

繋がりを考えるの面白いですねー。
どちらも、違う世界からの来訪者が自分の世界に帰っていく物語ですね。
客はぐるっとまわって帰らせてもらえるような。

投稿: 火夜(熊つかい座) | 2008年8月 8日 (金) 08時26分

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受信: 2008年8月13日 (水) 10時38分

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