玉様はお化けがお好き・夜叉ヶ池と高野聖の水系
風知草(フウチソウ)ならぬ放置草(ホウチソウ)状態(草茫々で草迷宮…そんなええもんかいと突っ込みを入れられそう)になっている(^^ゞ。
7月11日(金)に観劇したままになっている歌舞伎座七月大歌舞伎のまとめだが,夜の部の分を一旦アップする。例によって賛否両論受けて立ちますの付言を添えて…。拙稿の主題は,今年の上演にあたって,玉三郎丈が,「高野聖」をどう読み解き,「夜叉ヶ池」とどのようにカップリングし再構築されたかという一点に絞る。
なお,玉三郎丈は,イヤホンガイドさんの幕間インタビューで,鏡花作品の主題とモティーフについて,言及なさっておられ,その読み込みの深さに驚嘆したことも合わせて延べさせていただく。
Tamasaburou said.
1 鏡花先生は,自然の力を畏敬し,女性が内包する神聖と魔性を自然に近いものとして憧れ尊敬しておられた。
2 女主人公は,妖怪或いは人間に関わらず「水」を支配する。「夜叉ヶ池」の白雪,「義血侠血」の滝の白糸
3 物語を動かす場面では「歌」がキーアイテムとなる。「高野聖」の次郎,「夜叉ヶ池」の百合,「天守物語」,「海神別荘」
4 主人公カップルの肉体或いは精神的結びつきの成立は「馬」に象徴される。「夜叉ヶ池」では牛,「海神別荘」では龍馬。
5 鏡花先生は,様々な事象を妖怪の仕業に仮託されるが,その心根に私は惹かれてやまない。
6 上演時間が長くなるが,「恋女房・吉原炎上」は手掛けてみたい。
7 「夜叉ヶ池」と「高野聖」は対の物語で,短歌の上の句と下の句のように見立てることができ,そのように演出した。
以下,ワタクシなりの感想と,山津波二部作の読み解きである。
夜叉ヶ池
大正2年3月(1913年)「演劇倶楽部」初出,監修:坂東玉三郎,演出:石川耕治,美術:中島正留,照明:池田智哉
百合/春猿,萩原晃/段治郎,山沢学円/市川右近,白雪姫/笑三郎,湯尾峠の万年姥/上村吉弥,剣ヶ峰の使者鯰入/猿弥,鯉七/猿三郎,蟹五郎/弘太郎,穴隈鉱蔵/薪車
二年前のマイ感想→恋には我がの生命もいらぬ(白雪)
春猿丈の百合は,矢絣の拵えが磨きがかかって益々臈長け,聖魔境界線上の女であることを示された。笑三郎丈の白雪姫は,パワフルで豪奢で,歌舞伎味に満ち,玉三郎丈の期待に応える役作り。ハイ,対峙する吉弥丈の乳母は,姫が聞き分けが無くなった分,さらにパワーアップ。火を吐くような台詞,山津波のような気迫,姫をお守りするという情愛と責任感で舞台を支配しておられた。数百年前には,姫に勝るとも劣らない美貌と確信しましたぁ!
「水は,美しい。何時見ても……美しいな。」(晃)
幕開き第一声,連歌の発句に当たる段治郎丈の台詞の清々しいこと。全編の主題を凝集したこの一言で,一気に歌舞伎座がヒンヤリした。
「熊に乗って,黒髪を洗いに来た山女の年増がござった。裸身の色の白さに,つい,とろとろとなって,面目なや,…」(鯰入)
愉快な好色鯰の鯰入和尚さんの猿弥丈。もしかして,元は人間で,山姥に鯰にされてしまったのでは…。しっかり山姥,金太郎伝説している。怒り狂う剣ヶ峰の若様は海老蔵丈のイメージだが,門之助丈かな。
細かいが,主題に関わることなので気になった点が一つ。百合が村人に捕縛され牛の背に乗せられる場面で,ト書きと違うことが起きた。歌舞伎ではトランス状態になれば,お三輪や清姫は鬘を捌き,超人的な力を得たことを象徴する。巻き髪のままの百合さんは人間として死を選んだようだ。
ああれ。(と悶ゆる。)胴にまわし,ぐるぐると縄を捲く。お百合背を捻じて面を伏す,黒髪颯と乱れて長く牛の鰭爪に落つ。
高野聖
明治33年(1900年)2月「新小説」初出,演出・補綴:坂東玉三郎,石川耕治,美術:中島正留,照明:池田智哉
女/玉三郎,宗朝/海老蔵,薬売り/市蔵,次郎/尾上右近,猟師/男女蔵,百姓/右之助,親仁/歌六
泉鏡花28歳の時の作品で、代表作の一つである。
前半では,俗物の富山の薬売りを追って山路に踏み迷った高野山の勧進僧・宗朝が,蛇や蛭に襲われ難儀する。後半は,障害を持った少年と暮らす孤家の女に水浴を進められ,一夜の宿を借りるというくだりとなる。すんごい岩山の装置を回転させて使うところがポイント。
一階席の観客は,二人が暗い岩場を,コウモリやムササビと共に歩いてゆくところを間近に観ることができる。そして,問題の水浴シーンだが,装置と照明を上手く使い,月光の中での妖しい雰囲気を醸し出している。
玉三郎丈が演じる女は,ただの人間でなく魔力を持っていることが次第に分かってくるが,障害を持つ次郎に隔てのない愛情を注ぐ優しさを持ち合わせ,宗朝は,惹き付けられる。信仰に生き,聖職者としての地位を得ることと,身を捨て女と生きることとの間に如何ほどの違いがあろうかと惑う。
海老蔵丈の宗朝は姿形,口跡が清々しく,お似合いである。右近ちゃんの次郎は,胸に沁みる民謡を披露するが,涙ぐんでしまうほど上手。海老蔵丈も感極まっておられ,玉三郎丈の女は,その優しさに心打たれる。
翌朝,去りかねている宗朝に,二人の生活を支援する親仁から,女の素性と不思議な力について聞かされる。歌六丈の圧巻の長台詞は,ミステリーの謎解きの楽しさに酔う。女は,肉欲のみで近づく男を獣に変えるが,宗朝は清い心を持っていたので無事だったのだと…。女と共に生きようと引き返すことを考えていた宗朝の悲しい眸が印象的な幕切れだった。
泉鏡花氏のお化け好きは相当なもので,随筆にも書いておられる。玉様もお好きに決まってる。
僕は明らかに世に二つの大なる自然力のあることを信ずる。これを強いて一纏めに命名すると,一つを観音力,他を鬼神力とでも呼ぼうか,共に人間はこれに対して到底不可抗力のものである。
観音力と鬼神力は善と悪との二項対立ではなく,どちらにも肯定的で,観音には帰依を,鬼神には崇敬を抱いておられる。最も端的に表れるのが水で,恵みと生命の源であると同時に,全てを奪い破壊し尽くす暴力を持つ。
また,鏡花氏は,西洋文化を理解しながら,日本の伝承や伝統芸能に造詣が深く,馬の暗喩も罪人を曳いてゆく乗物と,男の欲望の象徴と東西をリミックスして奥行きの深いものとなっている。大蛇,猿,蟾蜍,蝙蝠,むささび等は,洋の東西を問わず,淫欲,愚行,死,夜のアレゴリーだ。
さらに,怪異を語る手法として,単発では駄目で,繰り返し語ってこそ効果があり,様々な物語を関係づけ,因果を網の目のように巡らせるとタノシミがいや増す。
勝手に関連づけて恐縮だが,高野聖で13年前の洪水とあるが,高野聖は1900年,夜叉ヶ池は1913年の作品である。孤家の女と決別し大僧正の道を選んだ宗朝,百合と暮らし鐘楼守となった晃,孤家の女と同一なのは百合だ。鯰入さんを鯰にしてしまった山女は孤家の女かも,百合と白雪は同じ運命の生贄,鮒や蟹や獣を眷属として従える白雪と孤家の女…。鏡花世界は連歌として廻る水車。正に循環世界だ。観音力の百合,鬼神力の白雪,併せ持つ孤家の女ということで,山津波というイニシエーションを経て最強の女神になったと見た。
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コメント
>ぴかちゅうさま
>捌きがうまくいかなかったのか、演出に手が入ったのかと思われます。
やっぱり。
そーかなと思ったのですが,何でも玉様の企みと考えて楽しむことが出来るワタクシは幸せ者です。
>ト書き通りの演出で一度観たかったです。
映画の記憶消えてます(m_m)。学円さんだけだったような…。そういえば,学円さんもあられませんね。
ワタクシ的には,頭の中で衣装,立ち位置まで妄想劇場でのぼせ上がってましたので,演出家出てこい!状態でした(爆)。
もうひとつの演出家出てこい!が,四の切に玉三郎丈が静をなさったことかな。
四の切は,スターが狐さんだけの方が好きです。
投稿: とみ | 2008年8月 9日 (土) 14時20分
夜叉ヶ池」の単独記事も頑張ってアップしたところ、早速のコメントを有難うございますm(_ _)m
>百合が村人に捕縛され牛の背に乗せられる場面で,ト書きと違うことが起きた......こちらで読ませていただいていたので気になってしっかりチェック。千穐楽ではお団子を捌いて尻尾状の黒髪が長く落ちました。ご覧になった日に捌きがうまくいかなかったのか、演出に手が入ったのかと思われます。ただ、百合は人間として死んだというのはご指摘の通りで、決壊した夜叉ヶ池の水に浸されて異界の者として再生するのだと思えます。
しかし、幕切れは晃と百合の二人が並ぶト書き通りの演出で一度観たかったです。玉三郎丈主演の映画はどうだったのかご存知ですか?
投稿: ぴかちゅう | 2008年8月 9日 (土) 11時22分
>ぴかちゅうさま
トラコメありがとうございます。
下書きのままほうりっぱ状態ですが,ブログは意見を頂き微修正を加えることも可能ですので,アップしてみます。
外題は,これ。
海老蔵丈も変化(へんげ)と聖(ひじり)リバーシブル・世界遺産熊野古道から来た男
投稿: とみ | 2008年8月 7日 (木) 12時46分
歌舞伎座の七月公演全体を概観した記事を書いてみました。夜の泉鏡花だけでなく昼の狐忠信の通し上演も含め、座頭の玉三郎丈はどんな世界を描き出したかったのかなどを考察した次第です(^^ゞ
勢いで書いた記事ではありますがTBさせていただきましたので、お目通しいただき、ご感想をいただけると嬉しいですm(_ _)m
投稿: ぴかちゅう | 2008年8月 6日 (水) 21時03分
>SingingFujisanさま
歌舞伎座ならではの贅沢な舞台でした。商業演劇と制作システムから違いますもの。
いよいよ、世界遺産熊野古道と雨乞狐に言及しなければならなくなってきました。実は、キーワードと外題、なぜ、玉様は、吉野山だけでなく、四の切も出られたか、笑三郎丈がどちらかの静御前をなさらなかったのか、説明が見つかってません。
投稿: とみ | 2008年8月 6日 (水) 18時52分
こちらへは「はじめまして」でございます。昨日は拙ブログへのご丁寧なコメント、ありがとうございました。
「水は、美しい」のセリフ、私も大変感動しました。あの一言で鏡花ワールドに一気に入り込みました。鏡花のセリフは美しすぎて、下手をすると浮いてしまい白けそうな気がするのですが、どの役者さんも見事にご自分の気持ちとして表現されていたように思います。
イヤホンガイドでの玉三郎さんの鏡花に対する説明と思いは、私も息を詰めて聞いておりましたが、自分ではまとめませんでしたので、とみ様の簡潔かつ的確な記述は大変ありがたく拝読いたしました。
ああ、あの世界がまた、甦ってまいりました。ありがとうございます。
投稿: SwingingFujisan | 2008年8月 6日 (水) 09時34分
>はなみずきさま
御了承に感謝します。見っぱなし気味ですので、喝を入れてやってくださいませ。
投稿: とみ | 2008年8月 3日 (日) 19時43分
とみ様。おはようございます。連日失礼いたします。
リンク、ど~ぞ♪
晃さん、私も好きです。学円さんも、好きです。「水」、つきつめてくださいませ!
投稿: はなみずき | 2008年8月 3日 (日) 06時50分
>hitomiさま
いよいよ残る謎は吉野山、高野山、白山山系と雨乞いの系譜です。書けるか勝算ありません。ダメでしたらギブアップ宣言します。
投稿: とみ | 2008年8月 2日 (土) 22時46分
>はなみずきさま
実はよくお邪魔してロムらせていただいております。全く初めての気が致しませぬ。地の利の欠如とスリムな財布は、思い込みと見立てでカバーしています。
本文は大したことございませんが、頂いたコメントの返事にええこと書けている気がします。サブタイトルも追加しました。
水は美しい。何時見ても美しいな(晃)も詰めようかと思いましたが、サスペンスドラマみたいですのでやめました。
あ、リンクさせていただいてよろしいでしょうか。
投稿: とみ | 2008年8月 2日 (土) 22時33分
舞台観ているときもこの関連性に気付きましたがすでにとみ様が美しくアップされてました。私も脱帽です。
今夜はテレビで「牡丹亭」に再会しています。
投稿: hitomi | 2008年8月 2日 (土) 21時45分
とみ様、はじめまして。(ほかのブロガーさんのところでお名前はかねがね拝見しておりましたが、コメントさせていただくのは初めてでございます。)
私も大変感銘を受けました7月の舞台。とみ様の読み込み、観劇眼が素晴らしく、感動が2倍にも、3倍にもなりました。今でもまだまだ余韻の残る、イイ舞台でございました。歌舞伎座を鏡花ワールドにも、また、千本桜の世界にもされる玉三郎丈。すごい御方と存じます。
投稿: はなみずき | 2008年8月 2日 (土) 16時23分
>hitomiさま
千秋楽を御覧のうえ、六条亭さま、ぴかちゅうさまにもご対面と充実の一日でございましたね。
このエントリも、書き始めてから頂いたコメントにインスパイアされたり、突然思い当たったりして微修正しています。晃と宗朝を同じ物語の二つの結末と読むのは概ね賛同を得ましたので嬉しいです。
舞台は日々深化していますし、玉様は最後までバージョンアップのお手をかけられますので見たいのですが、皆様の所感を頼りと致します。
投稿: とみ | 2008年8月 2日 (土) 09時51分
楽を観てきました。又、おとみ様の名文に感動します。
今日からハイビジョン放送もありしばらく夢の世界です。
投稿: hitomi | 2008年8月 1日 (金) 22時50分
>ゆきのさま
ご無沙汰しています。はるきさま宅ですれ違っておりましたが,お邪魔いたしました。
笑三郎丈の姫がご立派ですので姥まで立派になり,鯰和尚も加わり琴弾谷&剣ヶ峰の御世は磐石でございます。全ての鏡花譚の発句となる夜叉ヶ池は,このカンパニーの財産となっていただきたいものです。
吉弥丈の姫も見たいとお思いになりませんこと?
投稿: とみ | 2008年8月 1日 (金) 12時23分
おとみさま、早速おじゃまいたします!
恥ずかしながら、私は泉鏡花作品はどれも読んでいなくて、前回の鏡花公演の折、舞台を観てから初めて、本を読んだのです。。。
なので、鏡花先生について、そしておとみさんの読み解きは、大変勉強になりました!
私も妖怪好きですが、妖怪と人間は違うもののようでありまた同じようなものでもあると思います。切っても切りはなせない関係?、といいますか…。
「観音力」「鬼神力」、なるほど…。
この言葉の奥に、鏡花作品の女性を垣間みるような思いもします。
投稿: ゆきの | 2008年8月 1日 (金) 00時31分
>飾釦さま
貴宅に寄せて頂き,唯美系であられることを確認しました。鏡花センセも種明かししておられるとおり,お化けは束ねて出す。休み無く出さないと効果的でないようです。
ただ,因果を美しく哀しく感情移入出来るよう繋ぐところが作家や演出家センセのお力と考えます。
これが,好きでない作家や演出家のお仕事なら,模倣&自己模倣とバッサリ切ってしまう独善おとみでゴザイマシタ。
投稿: とみ | 2008年7月29日 (火) 00時41分
とみ様
小生のブログをTBさせていただき、おまけにコメントまで。ありがとうございます。とみ様のブログは切れがよくすばらしいです。
高野聖と夜叉ヶ池の連チャンの読みは、私と同じなのですが、とみ様の方がはるかに深こうございました。特に「高野聖で13年前の洪水とあるが,高野聖は1900年,夜叉ヶ池は1913年の作品である」は、ナルホド気づきませんでした。
こういったことを知ることができるのが、ブログの醍醐味でもあります。ありがとうございました。
また、拝見させていただきます!
投稿: 飾釦 | 2008年7月28日 (月) 22時56分
>HineMosNotariさま
怪談というエンタテイメントが非合理的な因果を紡ぐものですから,さもありなん…というところです。
吉弥丈の白雪姫という案はいかがっすか。
西洋のアレゴリーとの重層性はマイ推論。おとみの娯楽です。しっかし,見っぱなし状態から脱却しないといけません。
投稿: とみ | 2008年7月25日 (金) 12時32分
幕間インタビュー、聞き逃していたので、要点掲載は助かりました!
あと、観音力、鬼神力のお話も、今回の2演目にピタッとあてはまり、なるほどな~と。
うーん、玉さんの舞台はやっぱり深いですねぇ。
おとみさんのように、かみ締めるほど、どんどん味わいが増して来る気がしてきます。
投稿: HineMosNotari | 2008年7月25日 (金) 02時33分
>六条亭さま
拙稿の御高読並びにコメントありがとうございます。前シテと後シテのセオリーを無視し,細工抜きで白雪と百合に二人の俳優を配されるはずがないとずいぶん考え込みました。滝の白糸から始まっていたのですね。
お化けは連れだって出す,怪談はリスナーを休ませずにたたみかける,卑近ですが真理です。
玉様は上の句と下の句と仰いましたが,ワタクシの到達点は,短歌ではなく連歌。因果は水車のように巡り続けることでしょう。
投稿: とみ | 2008年7月23日 (水) 23時52分
> とみ さま
詳細な論考、鏡花の文学と玉三郎さんの読み解きを鋭く指摘されていて、感服しました。
拙ブログへいただいたコメントで岩波から出ている新日本古典文学全集の鏡花編の存在を知り、今その膨大な注とともに再読中ですが、目から鱗の部分が多いです。鏡花の民俗学的な知識をちりばめた高野聖の世界は、まさに想像力が生み出した驚嘆すべきものですね。夜叉ヶ池との関連はとみさまのご指摘の通りだと思います。
そのような世界を今回歌舞伎座の夜の部で現出した玉三郎さんの力にはあらためて敬服いたします。
投稿: 六条亭 | 2008年7月23日 (水) 22時40分
>火夜さま
コメントありがとうございました。
滝の白糸と村越欣弥の出会いは,裸馬に相乗りという衝撃的なもの。海神別荘の公子と僧都の会話,美女を龍馬にのせ黒潮騎士に守られてのお輿入れは八百屋お七の引き回しのようだとか,みーんな繋がってるみたいです。
ねじれた木は気付きませんでした。桜姫のときは,三社祭の悪玉善玉風の雲がずっといました。装置もこだわられる玉様のこと,きっとそうでしょう。
投稿: とみ | 2008年7月22日 (火) 23時44分
なにかと繋がるところが面白いですよねえ・・・。
巻き髪の意味にはなるほど!と。
関連性があるのかないのか・・・吉野山と、高野聖の樹木のセクシーなよじれ具合がツボでした。
投稿: 火夜(熊つかい座) | 2008年7月22日 (火) 22時58分
>hitomiさま
これからですね。
真夏の夜の夢でも,シーシアスとオーベロン,ヒポリタとターテーニアを同一俳優が演じるようになったのはつい最近のことですが,人間界と妖精界の重層性を示すためらしいです。ヴァイオラとセバスチャンを同一俳優が演じるのは役者の技量を見せるもの。あれこれ考えるとタノシミは尽きません。
行ってらっしゃいませ。
投稿: とみ | 2008年7月22日 (火) 07時55分
わあ、すごく面白そうです。ありがとうございます。無事に楽に観劇できるかドキドキしてきました。
オークションで小澤征爾音楽塾を間違えて余分にゲットしそうで困っています。馬鹿でしょう。
投稿: hitomi | 2008年7月22日 (火) 00時41分
>はるきさま
ようこそ放置草へ(自爆)
ワタクシ的には,二年前,「山吹」の代わりに,高野聖を笑三郎女,宗朝段治郎,親仁歌六で見たいと,きいきい申し上げておりましたので,望みが叶いました。
鏡花センセも玉三郎丈もしっかり謎解きをしてくださってますのでありがたいです。
二幕のすんごい装置は,山津波で地形が変わってしまったことを表し良い感じでした。
投稿: とみ | 2008年7月21日 (月) 19時09分
とみさん、こんにちは。吉弥さんに「尾のない猿ども」とばっさり斬られ、「いやー、もっと言ってぇー」と血迷った挙句に26日の夜の部を追加してしまいました。
エントリを拝読し、何もかもが腑に落ちた思いです。鏡花と玉三郎様の深いえにしを感じます。
>泉鏡花氏のお化け好きは相当なもので,随筆にも書いておられ>る。玉様もお好きに決まってる。
そういうとみさんもお好きですよね?私も好きですが、私の方は下手の横好きです…。
投稿: はるき | 2008年7月21日 (月) 17時21分