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2008年4月28日 (月)

夜陰を押してお半長右衛門の供養塔に参拝

お半長右衛門の供養塔に参拝
未だ耳に♪みおさめにまいちどかおをようみせてくださんせ♪が残るうちに…。
突然思い立ち,仕事が済んでからお半長右衛門の供養塔に参ることとした。新京極の誓願寺か六角堂なら安直に一走りだが,桂川となると交通機関の助けが必要となる。帯屋のある柳馬場押小路から桂川までの道行きは、徒歩で2分のバス停「京都市役所前」から、市バス32系統京都外大前行に乗車し,「西京極午塚町」まで乗り換え無しの30分。西へ徒歩3分の土手にひっそりとまつられている。
この方角は,在原業平が藤原高子を背負って,芥川から長岡への逃避行と同じのようだ。業平と高子は,追っ手に捕まり連れ戻されたが,本懐を遂げたお半長右衛門の縁の深さは哀切なのか,幸いなのか。
ところで,帰路の足を考慮するなら,お参りは深夜は避けるのが懸命である。

さて,完成度が高く,演者も当代の最高峰の面々ということで,ブラックホールのように嵌ってしまっている。
元来,若い娘の据え膳というおぢさん願望のシチュエーション,スキャンダラスな相対死というストーリー,多彩な周辺の人物設定の巧みさで,面白さてんこ盛りであるが,何と言っても至上,絶品,簔助さんのお半ちゃんに尽きる。
批評家(男性)の着眼点(期待)は,街道での娘のお半と,宿場での一夜が明けて女になったお半の鮮やかな演じ分けらしい(やらしー)が,寝乱れた髪に簪を挿す手つきや,袖で顔を隠す仕草は,あどけないままだった。
帯屋で,良い首尾と一縷の望みを持って男に迫るところもまだあどけないままだ。

どこで変わるのだろう。

二人の仲はこれきりと説得され,♪みおさめにまいちどかおをようみせてくださんせ♪で,一人で死ぬる重い決意をして,一旦しゃきーんとなられたかに見えた。
道行に場面が変わり,男が誠意を見せてくれ,おぶわれて登場のときには再びあどけない表情に。
卑怯にも,男に「わし勝手に一人で死ぬしー」と突き放されて,♪わたしや嫌いな,そんなその様な,胴欲な♪と,最後の力を振り絞りかきくどく。一生分の感性,恋情を発露させ,恋を全うする人生を完成させる。
勘十郎さんはここで明確な意思を持った女に鮮やかに変貌されたが,簔助さんのお半ちゃんは,どこまでもかわゆらしく神聖なままだった。深い。悩む…。

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コメント

>ハヌルさま
簔助さんのお半ちゃんのかわゆらしさに,長右衛門許せんの大合唱も道理,道理。勘十郎さんは治兵衛のような二又男,女の敵,男の身勝手を露悪的なまでに過激に表現なさる方ですから,よけいに際立ちました。玉女さんの場合,もう少し,しもた,じくじった感とお半ちゃん可愛や感がありますので,主題が薄まります。
ワタクシがこの演目が大好きなのは,女は歳やない。14歳といえども尊厳があるというところにあります。14歳の娘の世界は自分中心に回るおののきとか…。ジュリエットエイジですねえ。

投稿: とみ | 2008年5月 2日 (金) 12時35分

とみさま、お2人の供養塔があるのですかっ!
お半ちゃんの身になって考えれば、お隣の優しくて素敵なおじちゃまですから、気持ちはわからないでもないですが、おじちゃまがどうにも・・・。 もっと大人になっていただきたいですわ~。
納得出来ない!許せない!などと思いながら、実はまた観たいと
思ってしまう作品でした。 で、またこのおじちゃまは!っと憤慨するに違いないー(笑)

投稿: ハヌル | 2008年5月 1日 (木) 23時54分

>おりんさま
風景はいまも装置そのままのようです。地元の方々に守られいることに,お芝居の力を感じます。真実の愛を求め続ける芝居を書く人,見る人も,物語を継承しなければなりません。

投稿: とみ | 2008年4月29日 (火) 23時24分

うわぁ~。
写真から深夜感が伝わってきます。
二人の供養塔ってなんだか不思議に感じてしまいます。
供養塔=熱烈に愛しあう二人のためって思っているからかもしれません。

投稿: おりん | 2008年4月29日 (火) 22時15分

>つどいさま
地下鉄東西線も似たルートでした。太秦天神川から、80系統のバスというてもあります。
文楽は大坂が舞台のものが多いですが、京都の世話ものも、ええのようけおます。
次は鑓の権三!

投稿: とみ | 2008年4月29日 (火) 14時42分

>火夜さま
はい、夜中に近い時間帯でした。柳馬場押小路から乗り換えなしがポイントです。19昼と27桂川&夜でした。
簔助さんのお半は、14の小娘を侮らず見くびらず欲望の対象だけでない神性が感じられました。一途に思うたはったんやなあ。
二月に見た勘十郎さんのお半は、恋により急成長を遂げた痛々しさや運命に立ち向かう健気さがあって、こちらの方がワタクシ的には号泣モードになります。堀川波鼓のお種、大経師昔暦のおさん、鑓の権三のおさいのように間違いから始まった恋を誠の恋に昇華させる才覚が感じられました。

投稿: とみ | 2008年4月29日 (火) 14時22分

一言,その行動力に敬意を表します.

投稿: つどい | 2008年4月29日 (火) 09時43分

もしかして深夜に行かれた!?

文楽4月公演は、2部ともおとみさんと同じ日で、昼夜逆だったのでした。どこかですれ違っていそうです。

投稿: 火夜(熊つかい座) | 2008年4月29日 (火) 09時37分

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