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2008年3月23日 (日)

明智左馬之助湖水渡りの碑

Nec_0398大津市の湖岸なぎさ公園に並ぶ二つの文化施設・びわ湖ホールと琵琶湖文化館の間の遊歩道沿いに,「明智左馬之助湖水渡」の石碑が立つ。
明智左馬之助秀満は明智光秀の女婿で,錦絵や歌舞伎,講談で人気のヒーローだったが,あまり知られなくなって久しい。昨年12月,加藤 廣氏著「明智左馬之助の恋」を原作に,市川染五郎氏主演で,テレビドラマ化されたのが,最新の記憶だ。
左馬之介は,明智軍の後衛で安土城に詰めていたが,山崎の合戦の敗北を知り,安土城から坂本城を目指した。しかし,大津の市街地は秀吉軍だらけ。窮地に立たされた左馬之助は,湖上に活路をと,打出浜から湖に馬を乗り入れた。天正10年(1582)6月14日のことである。
上陸したのは,坂本の手前の柳ヶ崎のびわ湖大津館あたりと言われている。坂本城に入場するものの,妻子らとともに自害した。
ドラマでは,安土から坂本まで渡ったような映像になっていたが,鎧を付けて安土→坂本間を馬で渡るのは,うそだーいである。事実に近い2キロメートルでも決死行である。狩野永徳筆・水墨で雲龍図を描いた陣羽織を着用していたとされ,待つものが死であっても,妻子の元へ戻ろうとする勇将の望郷の思いが,絵師,戯作者,プロデューサーの想像力を喚起する。

余談:加藤 廣氏著「信長の棺」という太田牛一を主人公人にした小説の続編で,こちらのドラマ化は,松本幸四郎氏が主演されていた。

Nec_0399Nec_0400琵琶湖文化館は,この3月末で開館展示を終了する。文化館は,大津市打出浜地先の琵琶湖上に浮かぶお城の形をした地上5階,地下1階建ての博物館で,昭和36年(1961)3月20日に総合博物館として開館し,およそ50年親しまれてきたが,老朽化と文化施設の統廃合という県の方針で,展示を終え,収蔵庫として暫定的に使用されるとか。次週がラストの週末だが,本日は閑散としていた。
一方,肝心のびわ湖ホールも,稼働率が少なく維持に莫大な経費がかかるため,運営を見直し中とか。文化行政の困難さに思い至らずにはいられない。

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コメント

>nanasinonaさま
それ,撃沈しました。とにかくチケットがなかなか買えません。公演のない日は閑散としていますが,ホワイエは開いています。贅沢です。確かにそんなに県税払っていなかった。ハンセイ。

投稿: とみ | 2008年3月24日 (月) 23時16分

新三大テノールと言われて久しいホセ・クーラ登場『アンドレア・シェニエ』を大枚はたいてびわ湖ホールで鑑賞したのはもう2年近く前ですが、終演後の余韻のうちにオペラハウスの湖側テラスでお茶しながらお日様がゆったりと西に向かってゆく雄大な初夏の景観の中にいたことを鮮やかに思い出します。関西のオペラ・コンサート・演劇ファンの方々のためにもなんとか盛り立てていってほしいですね。

投稿: nanasinona | 2008年3月24日 (月) 17時59分

>悠さま
悲運の武将に肩入れする日本人の心は尊いです。文化館もどうなるのでしょう。
周りの文化施設を根こそぎなぎ倒したのですから,びわ湖ホールは生き続けて欲しいです。

投稿: とみ | 2008年3月23日 (日) 23時56分

このコース、散歩コースなんですけど、碑は気がつきませんでした。琵琶湖文化館の屋根上には、トンボがかざられているのご存知でした?。ヤンマーが文化館に寄付したんで、トンボになっているって、俗説か本説かわからないんですけど、聞いたことがあるんですよ。「信長の館」@小説は面白かったですよ。お寺って、いつでも、駐屯できるようになってんですよね、新撰組が本願寺だかに駐屯したように。

投稿: 悠 | 2008年3月23日 (日) 22時37分

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