「風知草」では,キリ番を踏まれた方からリクエストを頂戴して記事にしている。まもなく25万ヒットの背中が見えそうだが,20万ヒットが未だだった。今回は,「おとみ」という難題だっため,たいへん遅くなったが,本日,大阪NHKホールで開催される「おおさか・元気・文楽」の開演前に「直木三十五」ゆかりの地に立ち寄った。
直木三十五の文学碑は、その生家の近く・中央区安堂寺町二丁目の石段の踊り場に建つ。この長堀通から一筋北のお祓い通りへの急な石段を上りきると,榎の大木があり、榎大明神として祀られている。ワタクシの生家はこの直ぐ傍ら。敷地も建物もそのままだった(^^ゞドンナウチヤ。
直木賞という文壇のビッグな賞は広く知られているが,その源となった直木三十五の作品も生涯も不思議なほど知られていない。直木は、大正後半から昭和初期に活躍した大衆作家・評論である。大衆文芸勃興期に、新聞紙上、諸雑誌上で活躍し、大衆文芸の地位確立と発展に貢献した。明治42年に生まれ,昭和9年に43歳で亡くなっておられる。
直木とおとみの接点は,大阪市南区内安堂寺町二丁目の生まれということだけだが,この界わいは,大阪大空襲でも戦火を免れ,今も昭和の面影を残している。
近年,修復的開発が行われ,隠れ家的な雰囲気が人気を呼んでいる空堀からは,長堀を挟んで直ぐ北になる。今も同じ風景と地形が残っていることから,時代を隔てても,存外,直木とワタクシの原風景は同じのはずだ。
文学碑の碑文は、代表作品の「南国太平記」の一節で、大久保と西郷の青雲の志が刻まれている。文学界の風雲児として,簡潔な口語の文体で大衆小説という新しい国民的娯楽を確立した直木は,文学界の維新を志したに違いない。
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