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2008年1月23日 (水)

IZA!【文楽を歩く】桂川連理柵 あどけなさ映す心中の姿

Nec_0225今年は,おおさか・元気・文楽と,四月文楽公演で「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」が上演される。超近場(^^ゞだが,観劇前の文楽の旅に出かけた。
中京区押小路通柳馬場の帯屋長右衛門の店の位置には,現在,老舗の茨木蒲鉾店が店を構え,往事の風情が偲ばれる。
「桂川連理柵」が書かれたのは安永5年(1776)。お半長右衛門の情話は,実際に桂川で起きた男女の謎の死について,その年齢差に興味が集中し,浄瑠璃や落語に脚色されたもの。

中京区押小路通柳馬場の38歳の帯屋長右衛門と隣家信濃屋の娘14歳のお半は,伊勢参り下向の折り,石部の宿で同宿となる。その夜,お半は愚かな丁稚の長吉に迫られ,長右衛門の部屋へ逃げ込んだ。同衾した二人は,男と女の仲となってしまった。
長吉は、腹いせに長右衛門が預かっている正宗の刀をすりかえ,このことから,店の乗っ取りを企む隠居の後妻と連れ子たちに嵌められ、長右衛門は窮地に立たされた。
一方,妊娠を知ったお半は,哀れにも書き置きを残して桂川へ走る。長右衛門は、桂川で死ぬのは定めと覚悟し,お半の後を追う。

分別盛りで責任も背負うものも大きい真っ当に生きてきた男と,あどけない箱入り娘との組み合わせとはいえ,一旦恋の舞台に立てば,主導権を持つのは女。物語のなかでは,純情な娘ほど,一途に燃えるのもお約束。
そんな積極的なお半は簑助さんと,これもお約束のようだが,勘十郎さんのお半も見られるぞ。

IZA!【文楽を歩く】では,桂川まで行かれたようだ。

【文楽を歩く】桂川連理柵 あどけなさ映す心中の姿

 京都市内の南西を流れる桂川。あちこちさまよい歩きながら河畔にたどり着いたときにはもう夕暮れ。川面はおだやかで、向こう岸の草むらは冬の気配を映して茫々(ぼうぼう)と荒れ、行き交う人もほとんどいない。
 信濃屋の娘・お半と隣家の帯屋の主人・長右衛門が心中したのはこのあたりだろうか-。
 『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』は珍しい14歳の少女と中年男の心中物。
〈これは桂の川水に、浮名を流すうたかたの、泡と消行く信濃屋のお半を背なに長右衛門…〉
 文楽には『曽根崎心中』をはじめ多くの心中物があるが、死出の旅立ちに男性が女性をおぶって…という道行はほかにない。観客はその異様な姿から、お半の年齢、あどけなさを思い知るのである。
 桂川といえば、鴨川などと並んで京都を代表する風情のある川。流れる場所や四季によってさまざまに表情を変え、秋の嵐山では真っ赤な錦の帯になり、カップルがボート遊びを楽しむ。それなのにお半と長右衛門が心中したとされるあたりは、もの静かな気配。このあたりに「お半長右衛門の供養塔」があると聞いたが、残念ながら見つけることはできなかった。
■身分関係なく娘たちは恋に大胆
 ヒロインは14歳の少女お半。赤と浅葱の段鹿子の振袖に銀のぴらぴらの花簪。愛くるしい姿はまだ子供で、多分、信濃屋の箱入り娘なのであろう。隣家の帯屋の主人、長右衛門を見上げる目はあどけない。
 ところがそんな2人に過ちが起きる。旅の帰途、石部の宿で自分に言い寄る丁稚の長吉が嫌さに、つい長右衛門の寝床に逃げ込んでしまう。
〈『おお子供のことじゃ、そんならここへ入って寝や』と、一つ布団に仮枕、これぞ因果の始めとは…〉
 そこが男と女の理性のきかぬ世界である。
 「多分お半は、長右衛門を、近所のおっちゃんかお兄ちゃんのように慕っていたんじゃないでしょうか。僕はほのかに淡い恋心を抱いていたと思うのです」と、2月の大阪・NHKホールの文楽公演で『桂川連理柵』より「道行朧桂川」のお半を遣う桐竹勘十郎さんは語る。
 勘十郎さんはかつてお半を苦手としていた。「少女でも娘でもない。実に微妙な年頃でしょ。自分が演じるわけでもないのに、考えただけで照れくさくて」。しかも恋を知ったお半からはどこか妖しい女の色香もにじみ出る。
 克服したと思えたのは平成6年12月の東京・国立劇場公演。初めて恥ずかしさを乗り越えて遣うことができたという。「自分にとって、これから女方の人形もやっていこうと思えた、エポックになった舞台でした」
 文楽の娘たちは一様に恋に大胆である。身分の高いお姫様も市井の娘も変わらない。
 『本朝廿四孝』の八重垣姫は戦国武将・上杉謙信の息女。しかし敵方の武田信玄の息子、勝頼に恋をして親を裏切る決意をし、凍った湖を勝頼を追ってひたすら駆けてゆく。『染模様妹背門松』の油屋の娘お染は丁稚の久松と恋に落ち、追いかけてついに心中する。
 自分の家も親も、いや自分の命すら顧みない情熱を、古来日本の女たちは持っていたのであろうか。
 桂川を背にしたお半の顔に夕日が照り輝いた。
 文・亀岡典子

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コメント

>花かばさま
昔は,夏に南座で文楽したはりました。桂川連理柵を見たのが最終でした。この演目,おっちゃんらの願望なんか,人気あるみたいです。

投稿: とみ | 2008年1月25日 (金) 20時00分

>ムンパリさま
京都のまちなかは,職住共存。ビジネス街でもあり,居住区でもあります。かまぼこ,よろしかったら,桂川連理柵を鑑賞しながら,ご一緒にちくわをぱくつくという阿呆なことしませんか。したらあかんやろな~。

投稿: とみ | 2008年1月25日 (金) 19時57分

その話は、落語の「どうらんの幸助」でしか知りません。4月に是非見たいものです。

投稿: 花かば | 2008年1月25日 (金) 17時12分

とみさま。
場所は京都のビジネス街になるんですかね。今も面影をとどめた佇まい、写真がいい雰囲気です。
お半ちゃん、現代ドラマでもじゅうぶん話題になりそうな年齢ですね。人形遣いさんにとっても見せ甲斐のある役のようで、楽しみです。

投稿: ムンパリ | 2008年1月25日 (金) 01時13分

>おりんさま
チャリ場や,周囲の敵味方の人情の機微もあり,文楽らしい作品ですね。歌舞伎では拝見したことありませんが,坂田藤十郎丈が定評あられるようです。
少女だけれども,ちゃんと妊娠も可能な女の肉体を持っているところは,簑助さんのもの。
茨木屋さんの向かいに中学校がありますが,中2ですよね。ちょうど千差万別の年齢です。

投稿: とみ | 2008年1月24日 (木) 12時49分

>つどいさま
3分で行ける文楽への旅(爆)でした。
たまたま商用で出かける長右衛門に,親御さんがお半を送ってもらうよう頼んだところ,道中,強盗に襲われたという説もあるようです。
いずれにしても,無念の最期を迎えた二人にとって,供養になる筋立てと思われます。
長吉又は長右衛門,いずれにしてもその夜妊娠し,死なんならんかったお半にとって,最も幸福な結末です。
生命の息吹がほとばしるゆえ,死と隣り合わせのリスクを負わなければならない少女の宿命に思いを馳せずにいられません。
人間国宝・吉田簑助さんはこの危うさを表現できる唯一の人形遣いさんであられます。

投稿: とみ | 2008年1月24日 (木) 12時43分

とみ様
実はこの演目文楽を観始める前、枝雀のどうらんの幸助を聴いて知った演目でした。
なので4月が楽しみなのです。
あどけなさが残るお半ちゃん。簑助さんの遣われるお人形さんを想像してすっごい楽しみです。

投稿: おりん | 2008年1月24日 (木) 02時31分

「お半長右衛門の供養塔」は,衣手神社を少し西=桂川の方へ行ったところにあります.

なんだか,寂しいものです.

もう少し上流で,心中しなかったのかなあと思います.

元気な頃の私は,このあたりは毎日のようにジョギングしていました.
この供養塔を見るたびに何でここで,と不思議でした.

なお,最近は野口みずきさんがこのコースをトレーニングのために,よく走っておられます.

投稿: つどい | 2008年1月24日 (木) 00時18分

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