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2007年11月 8日 (木)

南座顔見世を待つ京のまち

京の人々は,今も昔も顔見世を心待ちにしている。その首を長〜くしての待ち方は,思い立ったら少しの空き時間にでも,歌舞伎鑑賞が可能なお江戸の方々からは,想像を絶するタイムスパンである。
明治時代の顔見世は,幕間が1時間以上かかることもざらで,午前6時ごろに開演し、終演が夜11時を回ることもあった。また,御召物を新調する女性客も多く,芸妓を伴い,お茶屋で休息しながら観劇した旦那衆も見られたという。
今も客席には着飾った和服姿の観客が見受けられ,芸舞妓が桟敷に並ぶ「花街総見」の日は、華やかさが一層増す。
このため,普段は質素に暮らす人も,ハレの日を目いっぱい楽しみたいという思いで,毎月お金を積み立て切符を取る「顔見世講」という風習があった。今も,京都中央信用金庫(さすが!)が「顔見世観劇券購入積金」を扱っている。
観劇文化は,興行側と客側と双方で育て上げるもの。今年には間に合わないが,来年に向けて積み立てというのも,京都らしい顔見世の楽しみ方といえよう。

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歌舞伎

昨日の京都新聞の記事による(転載)。

30日に南座(京都市東山区)で開幕する「吉例顔見世興行」を前に、出演する歌舞伎役者の名前を看板に書き込む「まねき書き」が6日午前、左京区東大路通二条下ルの妙伝寺で始まった。大入りを願って筆太ですき間なく書かれる「勘亭流」の書体で、東西の人気役者の名前が白木の板に黒々と躍った。
まねきは、江戸時代から始まった庵(いおり)形の看板。戦前からまねき書きを請け負っていたタケマツ画房(中京区)が今夏に廃業したため、今年は、歌舞伎の名跡・片岡仁左衛門家の墓がある同寺に場所を移した。
(中略)
今年のまねきは計57枚で、顔見世で襲名披露する「中村錦之助」のまねきも55年ぶりに登場。25日朝に南座正面に掲げられる。

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コメント

>rikaさま
役者さんのお家の番頭さんがご贔屓筋を毎月集金して回られたそうです。お町内で頼母子講というのもあったとか。
尾上菊之助丈の揚巻と女鯰,橘姫と青衣の女人と馬子,坂東玉三郎丈の夕霧と京鹿子娘道成寺の年もありました。

投稿: とみ | 2007年11月 9日 (金) 12時34分

とみさん、こんにちは。

まねきのニュースを聞くとすっかり年の瀬の感じがします(笑)。
「顔見世講」いいですねぇ~~。
来年の顔見世で昼・夜1等席で観劇できるように私も1月からはじめようかな~~(笑)。

投稿: rika | 2007年11月 9日 (金) 08時36分

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