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2007年10月12日 (金)

熊野街道の起点は天満橋八軒家

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天満橋から,所用で立ち寄る会議場まで,熊野街道を10分足らず歩いた。ささやか過ぎるがプチトリップには違いない。
古代より,難波津の湊として栄え、平安時代には,貴族階級で盛んになった熊野詣の起点となる。ここから南へ紀州熊野本宮への参詣道が延びていた。面影は無くとも,もちろん,今も道は健在だ。
江戸時代には、京と大坂を往来する三十石船の船着場として栄え、八軒の船宿があったという。石碑は、老舗の永田屋昆布本店にある。鰹をまぶした昆布が絶品で,大阪土産に最適だ。

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コメント

>つどいさま
>空堀通との熊野街道の交点あたりは,かつての姿とは異なり静かな住宅地であったように思います.
太閤秀吉は,上町台地から堺に向けて,街道沿いに南北に長い都市を形成する構想を持っておられたようですが,慶長の大震災で堺が甚大な被害を受け,やむなく西の湿地帯の船場を商業集積地として開削したとか。上町台地は居住地として残ったのでしょう。
それにつけても,じさま歴史好き。歴史というエンタテイメントがじさまからジサマに継承されている気がしてなりません。

投稿: とみ | 2007年10月14日 (日) 09時29分

熊野街道といえば,熊野詣と和泉式部.

大阪の上町台地の裾を直線的に南へ向かっていた記憶があります.
空堀通との熊野街道の交点あたりは,かつての姿とは異なり静かな住宅地であったように思います.

その熊野街道の起点が天満とは知りませんでした.
今日も朝は天満に行っていたのですが・・・.
今度天満方面に行く時には心して探します.

大阪のディープな情報は素晴らしいですね.
こうした書き込みを楽しみにしています.

投稿: つどい | 2007年10月13日 (土) 20時59分

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