平 幹二朗さん・ウィキより抜書き
リア王のチラシにナイジェル・ホーソーン卿と比肩して書かれてあったので,とーぜんと思いながらも気を良くして…。また,奇特なトラバもいただきましたので転載させていただきます。
平 幹二朗(ひら みきじろう)
1933年(昭和8年)11月21日
日本の俳優。広島県広島市小網町(現中区小網町)出身。
長男は俳優の平岳大。
広島県立上下高等学校卒業後、俳優座養成所に5期生として入所。同期に木村俊恵・今井和子・藤田敏八(後に監督)ら。1956年俳優座座員となり、同年『貸間探し』で初舞台。以後、『千鳥』『四谷怪談』『ファウスト』などに出演。端正な容姿と、スケールの大きさを感じさせる演技で注目され、仲代達矢とともに同座の若手ホープと目される。
1963年テレビドラマ『三匹の侍』にレギュラー出演。五社英雄演出によるリアルな殺陣シーンで、テレビ時代劇の流れを大きく変えたこの作品で、ニヒルな浪人役が人気を集めた。お茶の間にもお馴染みの顔となり、時代劇を中心に多くの主演ドラマを持った。1968年フリー。同年劇団四季の『ハムレット』で主役を演じ、各界から高い評価を受ける。続く『狂気と天才』などの演技も高く評価され、日本を代表する舞台俳優の一人となる。テレビドラマでは、1970年『樅の木は残った』、1973年『国盗り物語』とNHK大河ドラマで2度に渡って主演。大河ドラマではその後も助演として出演。1988年放送の『武田信玄』では、武田信虎役で横暴な支配者と失意の流浪者という全く相反する姿を演じている。1992年放送の『信長 KING OF ZIPANGU』では織田家をかどわかす架空の祈祷師・加納随天役で、不可解さと迫力に満ちた演技を見せつけた。
1976年に蜷川幸雄演出『近代能楽集 卒塔婆小町』に主演。以降、『王女メディア』『近松心中物語』『NINAGAWAマクベス』,『タンゴ・冬の終わりに』,『テンペスト』,『グリークス』など数多くの蜷川演出作品に主演、海外公演でも高い評価を得る。1993年には、東京グローブ座でシェイクスピア全37作品上演に挑戦するという壮大な計画を発表。以後『マクベス』(1993年)、『ハムレット』(1994年)、『オセロ』(1995年)、『十二夜』(1995年、1998年)、『リア王』(1997年)、『テンペスト』(2000年)など、着実に実行している。1970年に女優の佐久間良子と結婚し、一男一女に恵まれたが、1984年に離婚している。
代表作は前記の他に、舞台『シラノ・ド・ベルジュラック』,『俊寛』,『鹿鳴館』、映画『他人の顔』,『天城越え』、テレビドラマ『新選組始末記』,『義経』,『けものみち』など
テレビドラマ
三匹の侍(1963年-1969年、フジテレビ)
渥美清の泣いてたまるか(1966年-1968年、TBS)
眠狂四郎(1967年、フジテレビ)
樅ノ木は残った(1970年、NHK)原田甲斐役
君は海を見たか(1970年、NTV)
半七捕物帳(1971年、NET)
国盗り物語(1973年、NHK)斎藤道三役
幡随院長兵衛 お待ちなせぇ(1974年、NET)
花の生涯(1974年、NTV)井伊直弼役
はぐれ刑事(1975年、NTV)
放浪家族(1975年、MBS)
新選組始末記(1977年、TBS)
おせん(1977年、TBS)
不毛地帯(1979年、MBS)壱岐正役
聖女房(1979年、NTV)
岡っ引どぶ(1981年、フジテレビ)
文吾捕物帳(1981年、テレビ朝日)
迷探偵記者羽鳥雄太郎と駆出し女刑事(1985年、テレビ朝日)
教師びんびん物語(1988年、フジテレビ)
武田信玄(1988年、NHK)武田信虎役
源義経(1991年、日本テレビ)後白河法皇役
信長 KING OF ZIPANGU(1992年、NHK)加納随天役
100億の男(1995年、関西テレビ)
剣客商売(1998年、フジテレビ)田沼意次役
北条時宗(2001年、NHK)北条重時役
蝉しぐれ(2003年、NHK)
義経(2005年、NHK)後白河法皇役
けものみち(2006年、テレビ朝日)
水戸黄門 第37部(2007年、TBS)
篤姫(2008年、NHK)調所広郷役
(ウィキペディアより引用)
| 固定リンク
「演劇」カテゴリの記事
- 平幹二朗さんありがとうございました。とうとうこの日が来てしまいました。(2016.10.24)
- 蜷川幸雄さんありがとうございました(2016.05.13)
- 炎立つ 兵庫県立芸術文化センター13日ソワレ ギリシャ悲劇の様式による奥州の命と魂の再生の物語 果敢に挑まれた主演のお二人に心から拍手しました(2014.09.16)
- 白石加代子「百物語」シリーズ第三十二夜第九十八話「橋づくし」 第九十九話「天守物語」 (2014.07.15)
- イノセント・ピープル“原爆を作った男たちの65年”(2014.07.09)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント