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2007年9月30日 (日)

秀山祭九月大歌舞伎23日夜の部リライト

Main←本買うたしぃ…。画像の借用お許し。
23日,夜の部のみ,唯一度の観劇をさせて頂いた。皆様から,「はよ書かんかい!」という檄を頂戴して,イッキにまとめたので,お目汚しになるかどうか…。
評の締めを迷った。“無心のアーティストとしての筋を通し切った”か,“二人だけの愛の世界を創りあげた”かである。玉様についてのエントリは,後々,謎が解け,加筆することが多い。皆様の暖かい突っ込みをお待ちする次第である。
一、壇浦兜軍記 阿古屋
遊君阿古屋   玉三郎
榛沢六郎     染五郎
岩永左衛門   段四郎
秩父庄司重忠 吉右衛門

平家は壇ノ浦で滅び,鎌倉方は,平家残党・悪七兵衛景清の行方を探索していた。景清の馴染みの阿古屋を捕らえて尋問したが,知らぬ存ぜぬばかり。姑息な代官岩永左衛門は拷問を主張するが,主格の秩父庄司重忠は,琴,三味線,胡弓を順に弾かせ,音の曇りで,彼女の心のうちを推し量ろうとする。

阿古屋は,舞台上で3曲を演奏しながら,行方知れずの夫を慕う心を細やかに表現しなければならない女方の大役だ。当代では,玉三郎丈のみが継承しておられる。また,情理併せ持つ捌き役を演じれば,こちらも当代一の吉右衛門丈が初役で重忠に取り組まれた。
岩永は,人形振りで,眉毛も動きコミカル。重忠は,白塗り生締め。榛沢は,腿だちをとり,美脚モロ見せ>*0*<キャアアッ。浄瑠璃は大夫4人に三味線4丁の豪華な備え。
阿古屋は,花道から前後に3人づつ捕り手を並べ登場する。捕り方も玉三郎丈の一部,長身イケメン揃いで麗姿を引き立てる。上方の花魁の拵えで,平家ゆかりの揚羽蝶と牡丹の金糸の打掛,孔雀一羽の俎板帯。伊達兵庫に絢爛豪華な櫛こうがい,びらびら簪が光りを添える。
花道七三で捕り手たちと揃って見得を切れば,客席は早くも最高潮。
情に厚い重忠との台詞のやりとりが,真情溢れ,「いっそ殺してくださんせ」と,階に身を投げ出して決まる形の美しさ。ここでも息を持ってゆかれた。
3曲の演奏は,超絶技巧,景清を思う旋律もさることながら,合間の台詞の応酬が鳥肌ものの艶やかさだ。琴の後の恋の馴れ初めは一言も聞き落とせない。
「三味線弾け」,「ええっ」も,意外性があって可愛らしい。都落ちの切ない別れ,もう会えないと,儚い縁を嘆く表情の痛々しさと,すすり泣く胡弓のカデンツァに,魂を全部持ってゆかれる。
琴,三味線,胡弓は,恋の始めから終わりまでを奏でる組曲になっている。阿古屋の思いも,意地と張りから,激しい思慕と身を切られる別れ,そして彼方の景清への変わらぬ心だけとなり,思い人に届けと虚空に舞う。お裁きの最中でありながら,二人だけの世界だ。終わらないでと願わずにはいられない。曲の終わりの静寂が白洲の現実に引き戻す。
演奏が終わると,重忠は彼女に無罪を言い渡す。判決を聞くまでもなく,客席はもう無罪を確信して緊迫感が薄れているが,ここで,きっちり物語を締められた重忠は立派。
裁判劇という視点で冷静に考えれば,被告人は,絢爛豪華なお衣装に,百媚のかんばせ,玲瓏たる美声,琴,三味線,胡弓の三種の武器と,したい放題。阿古屋独り勝ちに作劇されているにもかかわらず,緊迫した法廷劇となっているところが,役者さんたちの並々ならぬ位取りの力の確かさと改めて感じ入る。

昨日から急に涼しくなった。弦楽器は明らかに音が変わる。僭越ながら,わが凡器でもそれと知られる。これまで,酷暑の阿古屋は上演記録にはなかったようだ。玉様にも,楽器にも万全のコンディションで,また,聞きたいものである。

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二、新古演劇十種の内 身替座禅
山蔭右京  團十郎
太郎冠者  染五郎
奥方玉の井 左團次

右京は,遊女花子に会いに出かけたいが,恐妻の玉の井が側を離れない。何とか屋敷を抜け出す口実に,持仏堂に籠もって座禅をすると言い出した。太郎冠者に身替わりに座禅をさせ,脱出には成功したが,あっけなく奥方に知れる。怒りの奥方が座禅をしているとも知らず,右京は上機嫌で帰宅した。ヒエー。

十三年ぶりに右京役をつとめられた團十郎丈は,何をなさっても滋味溢れ,左團次丈の恐妻はひたすら怖い。染五郎丈の太郎冠者がイノセントに見えて素敵だ。

三、秀山十種の内 二條城の清正 清正館,二條城,御座船
加藤清正  吉右衛門
豊臣秀頼  福助
徳川家康  左團次

慶長16年,天下の趨勢は,もはや徳川殿のもの。将軍職を秀忠に譲った家康は,冥途の土産に豊臣家の廃絶を画策していた。そのかみ,関ヶ原では,東軍についた加藤清正であったが,豊臣秀吉の恩顧を忘れず,秀頼に忠義を尽くしていた。家康は,秀頼を京都の二條城に呼び寄せ,臣下の礼を取るよう強要していたが,大坂方の対処によっては,暗殺,戦,手段を選ばない構えだ。秀頼上洛の健気な決断を隠居所で聞いた清正は,完全武装のうえ,郎党を引き連れ,最後のご奉公に出立するのだった。

病を押して,恩義ある豊臣秀吉の遺児を守り抜こうとする老いの一徹,天下取りは諜報戦の時代になっても,野を駆けめぐった古武士の矜持を保ち続ける老将。吉右衛門丈のお姿は,清正そのものであり,初代に酷似しておられるのであろう。作劇としては,エピソードやディティール盛り込みすぎで古風感は否めないが,清正の時計で時間が流れていると気を取り直せば,物語に乗れる。
ずーと緊迫感続きの二條城大広間から,「還御」と大喝して脱出するクライマックスには,溜飲が下がる。
命懸けでお守りする秀頼公が凛々しく知的な青年であること,対峙する巨魁の大きさと食え無さが肝要だが,それぞれ,はまり役を得て,大人の男が感情移入できる骨太のドラマとなっていた。先代の威徳と,当代の行き方に心より拍手させて頂いたお芝居であった。

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歌舞伎」カテゴリの記事

コメント

>みゆみゆさま
お忙しいところコメントありがとうございます。
ご覧のとおり,粒の揃わないエントリばかりですか,長短にかかわらず舞台にかかわる皆様に感謝の気持ちをこめて書いています。
こういう,どっちに転んでも玉三郎丈を誉める議論は,勝手にせい(^^ゞでしょうが,評論の根幹ですので,盛り上がってます。
ユタ…。程なく書きます。

投稿: とみ | 2007年10月 9日 (火) 23時26分

TBありがとうございました。
念願の玉三郎さんの阿古屋は素敵でした。
(その前にもいろいろあったので、疲れた中での観劇は、少し辛かったですが・・・^^;)
また見たい演目です!

投稿: みゆみゆ | 2007年10月 9日 (火) 21時47分

>向日葵さま
>私はどちらも両立させた、類稀なる舞台であったと思います。
ご参戦お待ちしておりました。
芸術派,恋愛派,両立派,出揃って参りました。わくわくさせて頂きありがとうございます。
>伎芸天が舞い降りたかのように思えました。
伎芸天説に賛同頂きありがとうございます。地上に降りた天人が舞などの芸を成し天上に戻る枠組みも重層的にあると感じました。これは,次月の羽衣を見てから書きます。
実盛,熊谷でご存知のとおり,義太夫は,「物語」部分をクライマックスに描かれています。戦記の中の戦記,劇中劇です。3曲は劇中劇,これは論を待ちません。
ただ,完全勝利ではなく,余力を残しての程良い勝ち方とお見うけしたと申し上げれば失礼でしょうか。

投稿: とみ | 2007年10月 8日 (月) 09時45分

とみさまの文章の隅々から丈のお姿がビジュアル再現されます。あの舞台の濃密な空間を体感する素晴らしい劇評、ひたすら感銘して拝読いたしました。
>“無心のアーティストとしての筋を通し切った”か,“二人だけの愛の世界を創りあげた”か
私はどちらも両立させた、類稀なる舞台であったと思います。琴に触れたその瞬間に阿古屋に伎芸天が舞い降りたかのように思えました。

投稿: 向日葵 | 2007年10月 7日 (日) 21時38分

>六条亭さま
>藝術と恋愛の双方を両立させるよう演じているよう私は見受けられました。
完璧主義の玉様,両立させられたことは間違いございますまい。
ただ,書いみて…。
「弓矢持て覇権を争い,勝者側に座る鎌倉方。偶々,敗者の情人として白洲に引き出されるとも,阿古屋は最高峰に立つ伎芸天。たおやかな天女も弓を取る。至高の芸は裁くものの卑小な心を圧倒する。」
こうなりまして,迷いつつこの説を取り下げました。
>どちらかと言うと反面教師ですね。
反対の説を唱てますので,ほっとしました(爆)。
歌妓とは失礼な…。伎芸天女以外の言葉を使うとは…。

投稿: とみ | 2007年10月 6日 (土) 00時03分

とみさまの観劇評を拝読しました。その語彙の豊富さと的確な表現力は、いつもながら冴え渡っていらっしゃいますね。

玉三郎さんの阿古屋は藝術と恋愛の双方を両立させるよう演じているよう私は見受けられました。三曲を無心に澄んだ音で演奏する、それが景清の行方を知らない証しですし、それでありながら三曲を奏でながら影清の面影をふっと追ってしまう風情が何とも言えませんでした。

劇評については私のような小心者は、まず観劇前に出ている評を読んでからにしています。ただ、誤解がないよう付け加えますと、渡辺氏の劇評はいつも参考にはしていますが、口幅ったく言えばどちらかと言うと反面教師ですね。

投稿: 六条亭 | 2007年10月 5日 (金) 22時32分

>はるきさま
コメントお待ちしていました。渡辺センセの評を拝見せずに書きました。シロウトとは言え,玉様に言及するのですから,緊迫感を持ち,賛否両論受けて立つ決意でのぞみました。ただ,命題の設定が渡辺センセと同じというのには,すんごい気分いいです。
渡辺センセは以下のとおりです。
>玉三郎は歌右衛門とは違って,自然に手が動いてひたすら音楽を演奏しつづける歌妓といった趣があり、かついかに繊細微妙な音を出すかといった演奏家のような面影が見える。
このように解釈すると,玉三郎丈の一人舞台,一人の大勝になるのです。3曲だけの演奏会もなさいますが,それとは違ってました。
だいぶ,考えまとまってきましたので,タイトルも書き換えて,勝負エントリにします。

投稿: とみ | 2007年10月 5日 (金) 20時00分

とみさん、お待ちしておりました!!遅くなりましたが、TB有難うございました。

芸か、恋か。皆様恋愛派ですね。私が乾いてるのかしらん;^^、どちらでもいいと思うし、両方が阿古屋の中でせめぎあっているかもしれないし。ただ確かなのは、三曲が明らかにした彼女の無心。

そして、とみさんの文章で読むのはとても嬉しいです。気候と楽器の関わりなど、とみさんならではの着眼点ですよね!!
「山の段」、私も玉様定高と吉様大判事で見たいです。玉様戸無瀬と吉様由良之助、仁左様本蔵も見たい…。

投稿: はるき | 2007年10月 5日 (金) 16時55分

>ぴかちゅうさま
コメントありがとうございます。また,ごご紹介いただいたとか,重ねてありがとうございます。
藝術至上主義か,恋愛至上主義か。どちらも玉三郎丈ですから…。玉三郎丈と吉右衛門丈の息詰まる対決,拝見したいですね。玉手と合邦,定高と大判事。見たい大顔合わせ一杯です。

投稿: とみ | 2007年10月 5日 (金) 12時51分

コメントを有難うございました。こちらの記事を拙ブログのコメント欄でですがご紹介させていただきましたm(_ _)m「芸術家としての筋を通すと読むか,愛の世界に沈潜するか」で悩まれて、後者の解釈をされたとのこと!恋愛至上主義の私としても賛同いたします。これはやはり二人の愛の思い出を三曲に乗せたという作品だと思います。
>昨日から急に涼しくなった。弦楽器は明らかに音が変わる。......不安定な季節は弦楽器には厳しいのですね。千穐楽の観劇でしたが、琴の調弦にずいぶん時間をとられたのでなぁるほどと思いました。予習の甲斐あってか、岩永のように思わず身体が反応してしまいました(^^ゞ

投稿: ぴかちゅう | 2007年10月 5日 (金) 02時06分

>hitomiさま
歌舞伎も初心者なので,間違った勝手解釈をしがちです。3曲は序急破になっているのでしょうか。いや,守破離です。
楽器に対峙するとき,喜びも悲しみも昇華するというアーティスト気質と心根を音に乗せるというドラマトゥルギーのせめぎ合いが,どちらに振れるか息詰まりました。
芸術家としての筋を通すと読むか,愛の世界に沈潜するか,劇評の締めに今も悩んでいます。お読みのとおり,後者を選びました。

投稿: とみ | 2007年10月 3日 (水) 19時36分

 
 とみ様は何時、ご覧になるのか、エントリーは、と心待ちにしておりました。

 今回も冴え渡る劇評に感服いたします。貴グログ全体に酔ってしまいます。ありがとうございました。

 ますます自分の語彙、知識、センスの無さにもどかしなります。お見捨てなきようお願いいたしますね。

 

投稿: hitomi | 2007年10月 3日 (水) 08時38分

>麗さま
失礼しました。
付きすぎない筋肉が,若者もいける役者さんの条件。蹲踞の膝周りの腱の美しさがポイント。あのいでたちはおみ足フェチが考えつかれたとしか思えません。
床も素晴らしかったですね。竹田奴もなにげに可愛かったし…。

投稿: とみ | 2007年10月 3日 (水) 02時04分

素晴らしいエントリ、拝読させて頂きました。
読ませて貰いながら感心しきりでございます。

>当代では,玉三郎丈のみが継承しておられる。
そうなんですね!
確かにこの役は、単なる”女形”と言うだけでは務まらない、
難役だという事は、私のような素人目で見ても明らかでした。
気候の違いで弦楽器の響きも変わるんですねぇ。
これもまた(なるほど!)っと勉強させて貰いました。

琴、三味線、胡弓と3種類の演奏がありましたが、
私的には胡弓の演奏が一番好きでした。
三味線とのセッションが最高に素晴らしかったです♪

>榛沢は,腿だちをとり,美脚モロ見せ>*0*<キャアアッ。
萌え感想は、これだけでよろしかったのでしょうか?(笑)

僭越ながら、TBさせて頂きます。m(__)m

投稿: | 2007年10月 2日 (火) 22時43分

>スキップさま
コメントありがとうございます。
身に余るお言葉を頂戴しましたので,ちょこちょこ修辞を整えましたが,まだまだです。
華やかなお琴は泣けましたが,だんだん,お裁きも重忠もふっ飛んでしまい,景清と二人だけの世界になってしまわれました。演奏が終わらないで欲しいと思ったのは私だけではありますまい。
で,マイイメージの景清さんは吉右衛門丈なのですが…。矛盾します。
もう十月公演が始まります。全く異なるお役どころ。楽しみです。

投稿: とみ | 2007年10月 2日 (火) 12時57分

とみさま
ため息が出そうな惚れ惚れするエントリをありがとうございました。
玉三郎さんの描写もさることながら、気候によって弦楽器の音が
変わることに言及されるあたり、音楽にも造詣が深いとみさんならではですね。
私も夜の部は「阿古屋」のみ拝見しました。9月9日(!)に。
でも何だか言葉がうまく出てこず、記事にしないままです。
いつかとみさんのようにステキな記事が書けるようになるといいな。

投稿: スキップ | 2007年10月 2日 (火) 01時05分

>ミッチさま
過分のお言葉ありがとうございます。追体験できる長文,書けなくもありませんが,ワタクシが読める限界に留意すれば,こんなところでございました。

投稿: とみ | 2007年10月 1日 (月) 12時56分

>どら猫さま
>もう用意しておられたのかしら。
書けばキリがないので,何を残すか決めるだけなのです。今回は,玉様教の教義のキーワードを推敲中ですのでいずれ加筆します。

投稿: とみ | 2007年10月 1日 (月) 12時52分

とみ様 こんにちは♪
玉三郎丈と歌舞伎への愛あふれるエントリ、拝見いたしました。
あの素晴らしかった舞台を追体験させて頂き、感謝です☆

投稿: ミッチ | 2007年10月 1日 (月) 10時58分

こんばんわぁ
リクエストしてすぐのエントリということは、もう用意しておられたのかしら。玉様への愛のあふれるエントリで、嬉しく拝見しました。どら猫の雑な感想とは大違い!
確か、何年か前に大阪のドラマシティーの舞踏公演でも三曲だけをなさったのが夏ではなかったかと思います。
またの公演が待たれますね。

投稿: どら猫 | 2007年10月 1日 (月) 00時34分

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