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2007年6月28日 (木)

15万ヒットリクエストエントリ・新中納言知盛卿が出没する・大物浦

Nec_0178_1どら猫さまより「知盛」というお題を頂戴し,早速,彼が潜伏したとされている大物浦を訪ねた。梅田又は西九条から各駅停車で直ぐと思ったが,一駅に2分は停車するので注意。大物駅からは,南に徒歩2分。

平知盛は,西海の壇の浦に「見るべき程の事は見つ 今は自害せん」と,元暦2年(1185)3月24日,乳人子とともに碇を巻き付け入水した。
戦の天才・源義経は,束の間,都の寵児となるが,院政と鎌倉殿との抗争に利用され使い捨てられた。一旦都落ちを決意し,再起を期して,大物浦から船出を図るのは文治元年(1185)11月5日のこと。歴史上及び戦記上では,知盛がここで義経の出航を阻むことはありえないはずだ。
Nec_0179Nec_0181_1 大物の浦より舟に乗って下られけるが,折節西の風烈しく吹き,住吉の浦に打ち上げられて,吉野の奥にぞ籠りける。(中略)忽ちに西の風吹きける事も平家の怨霊の故とぞ覚えける。

平安時代から水運の安全の守護神として大国主を祀った大物主神社は,駒札によると,平清盛が厳島神社参詣の際に当地を訪れ,弁財天を合祀したとされている。義経の海路の無事の祈りが,天に届かなかったのも,あながち故無きことではなかったようだ。
境内には義経・弁慶隠家の碑がある。
また,大物川が埋め立てられる前には,フィクション船弁慶に因み,静と義経が別れを惜しんだ橋というのがあったそうだが,今は公園になっている。阪神電車は,ほん海際を走っていたとされていることからも,この界わいが川と海が出会う水運の結節点として長い歴史を生き続け,その風景を失ったのはたかだか数十年のことであろうと思われる。

51vqmkagvl_ss500__1物語に戻って…,
平家物語における義経の受難は平家の怨霊の故という物語的真理から,後世の芸術家はさらに発展させ,哀切かつ幽玄の演劇を発展させる。
謡曲「船弁慶」では,史実と異なり,この地で静と義経は今生の別れを惜しみ,荒れ狂う嵐の中に登場する知盛の亡霊を弁慶が法力で調伏する。

時代はさらに下がるが,栄華を誇った華麗な平家一門が,幼い帝や,やんごとない女人たちとともに,西海の藻屑と散った最期を,民衆は心より悼みつづける。「生き延びて,どこかで名を変え,別人となって隠れ住んでいて欲しい」という願望が,義太夫狂言の傑作・歌舞伎「義経千本桜」に結実する。「渡海屋・大物浦」で,知盛は,亡霊としてでなく,渡海屋銀平として登場し,義経に再度戦いを挑み,再び破れ,大物浦に碇とともに身を投じる。

大物浦の風景は失われ,平家物語が生活の一部から勉強せんならん古典となろうとも,知盛さんも義経さんも,小説,演劇,映画やドラマに定期的にご登場される。趣向が楽しみだ。
そして,七月の大阪松竹座で,深い人間性の洞察,怒りと悲しみと諦念,そして神性比類無いと評判高い片岡仁左衛門丈が渡海屋銀平実は新中納言平知盛を演じられる。7月2日はもう初日,遠征の方にはご当地探訪をおすすめしたい。いや,できないかな。

過去のリクエストエントリはこちら
10万(在原業平屋敷跡へソッコー)
 5万(亀屋忠兵衛在所を訪ねて新ノ口へ)

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コメント

>どら猫さま
なんといっても大収穫は,大物主神社を整備し,西海を仕切り海路の安全を司っていたのは平相国であられたことを知ったことです。これで全てのストーリーが繋がりました。義経はん,ムシよすぎ,戦以外のこと知らなさすぎたのであられましょう。
また,壇ノ浦では,それまでの舟戦のセオリーを破り,水夫,舵取を大勢殺しました。海神を崇め奉った平相国,海の男の敵・源九郎。むべなるかな。

投稿: とみ | 2007年6月30日 (土) 02時03分

>ミッチさま
はじめまして。さる演劇評論の大家のお宅にコメントなさっておられるミッチさまであられましょうか。ありがとうございます。
旅行という程のものではなく取材でした。
物語の世界への旅行は,よく致します。京都魔界,物語の舞台へほんの30分もあれば往復可能です。職場を深夜に出ることが多く,恵比寿参り,庚申参り,市比女参り,耳塚,一条戻橋,鉄輪の井戸,祇園界わい,鴨川など駆け抜け,一気に頭をリセットします。ご面相が般若系ですので,そんなとこ深夜にうろつくと腰抜かす被害者を出しそうです。というわけで,観劇量の少なさは仮想上演と妄想癖でカバーです。

投稿: とみ | 2007年6月30日 (土) 01時30分

>とみ様
素敵なエントリをありがとうございます。 以前は近くに住んでいたのにちっとも知りませんでした。お恥ずかしい。
背景なども少しは知っているつもりでしたが、清盛公にもゆかりがあるとは・・・・
七月の松竹座は日程を間違えないようにちゃんと行って、仁左衛門様の知盛卿をしっかりと拝見しようと思います(苦笑)
本当にありがとうございました。

投稿: どら猫 | 2007年6月29日 (金) 21時24分

とみさま こんにちは
はじめてコメントさせていただきます。
知盛卿ゆかりの地への旅行記、大変楽しく拝見いたしました。
とみさまのような方にご案内いただいて、こんな旅行ができたら
どんなに楽しいことでしょう!
私もいつか、こんなテーマをもった旅をしてみたいです♪

投稿: ミッチ | 2007年6月29日 (金) 17時55分

>火夜さま
確かに風景はまるで失われています。ちょっと加筆しますね。

投稿: とみ | 2007年6月28日 (木) 12時42分

「大物」って「大物浦」だったんですか!
知りませんでした!
阪神電車をよく利用していたのでなじみのある駅名なんですが、あのあたりなんですねえ。

投稿: 火夜(熊つかい座) | 2007年6月28日 (木) 06時47分

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