シネマ歌舞伎・京鹿子娘二人道成寺・サブリミナル玉様
クリアーな映像,迫力ある高品質の音響,劇場では拝見できない細かい表情の確認,お衣装や小道具のディティール,様々なアングルからの活写と,映像化の実質的なメリットは枚挙に暇がない。そして,引っ込みの時間のリプレイも,楽しみに継続性が生じる。劇場では,観客ひとりひとりが心ごころに見て良いが,シネマでは,玉三郎丈がお見せになりたいものだけを見せられる。別の芸術作品の創出という観点からのメリットも魅力的だ。
歌舞伎 |
生の舞台で二人の花子をどう見たかで,映像作品の評価は異なる。二人の花子については,総じて,実像と虚像,光と影,妹と姉,実態と幻影,生娘と白拍子,白拍子花子と清姫の怨霊という性格付けが行われていたようだ。
失礼ながら,映像でクリアーになるのは,年齢で,過去と現在という位置づけが浮かび上がる。(``)/゛オマイナァ!! 続いて表情であるが,終始,端正な表情をキープする菊之助丈に対し,凄まじい恨みを隠そうともしない玉三郎丈。菩薩と夜叉(怖すぎ)。
編集者・玉三郎丈は,フォトジェニックな菊之助丈を中心に据え,一瞬,単独で舞われたときの玉三郎丈の映像に差し変えられる。サブリミナル攻撃だ。二人の花子の性格付けに,さらに顕在意識と潜在意識,表層心理と深層心理という二面性が加わる素敵な企みだ。目には違うものでも実はひとつという妖しいメッセージに,またまた完全に支配されてしまった。ぼんさんとの問答や笠踊のときひとりになり,舞い始めるとふたりになる。妖艶な手ぬぐいは玉様,清冽なただ頼め~は菊様…。明快すぎる。
認識したのは3度だが,実際は何度だったのか。それもイリュージョンなのか分からなくなっているが,分かる必要がないというのも,玉三郎丈のお告げのような気がする。恐ろしいことだが,今後,菊之助丈の「京鹿子娘道成寺」を拝見するとき,間違いなく玉三郎丈がフラッシュバックすることだろう。
もしかしたら,舞台は,映像だけで表現可能なエンタテイメントを,想像を絶する技術で舞台上に実現なさったものではないだろうか。思いついては背筋が寒くなり身震いしているw|;゚ロ゚|w ヌォオオオオ!!。マインドコントロールされた信者の僻心と思し召せ。
| 固定リンク
「歌舞伎」カテゴリの記事
- 松尾塾子供歌舞伎公演2014 in 国立文楽劇場A組 ああ、一巴大夫さん、この時間は一巴大夫さんが生きておられたかった時間…(2014.08.19)
- 三月花形歌舞伎 in 京都四條南座(2014.03.02)
- 坂東玉三郎特別賞舞踊公演(2014.01.13)
- 京都四條南座・顔見世興行初日・ゆるゆると幕が開きました(2013.12.03)
- 松尾塾子供歌舞伎公演2013 in 国立文楽劇場(2013.08.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
>hitomiさま
毎年,楽しみですね。アメショーは白黒くっきり,精悍で気位高そうな子が好きです。
あ,貴宅のパパも愉快そうですね。
拝見しては歌っています。勿論ジェルクルソングをです。
投稿: とみ | 2007年4月20日 (金) 23時10分
とみ様
有難うございます。シネマ歌舞伎は日高川は観ました。二人道成寺、ワクワクして待っております。カノンですかあ、ますますありがたい気分になります。いつもの道成寺でも幕切れの怖いお顔は素晴らしい。
アメショウ、観て頂き有難うございます。今日、2週間ぶりに友人宅にお嫁入りした子に会ってきました。
投稿: hitomi | 2007年4月20日 (金) 19時45分
>hitomiさま
>生の舞台も観てません。無理しても行けばよかったのに。
主題は映画の方が分かりやすいですし,花道の見えないお席でしたら楽しさ半減です。何より縦一列の陣形は中心線に座らないと味わえないです。
ぜひシネマを楽しんできて下さいませ。感想も楽しみにしています。
ワタクシも地方在住ですので,見逃した場合,しゅぱーと気持ちを切り替え諦めます。玉様の舞台は,各演目,生涯一度だけの鑑賞でも悔いはありません。
>謡っておられるのですか。
映像は,終盤沈黙になってからのもののようです。前述の通りワタクシメはカノンでした。
アメショー,毎日拝見させて頂いています。
かわい過ぎます。
そう言えば二匹同じポーズのありました。
投稿: とみ | 2007年4月20日 (金) 00時36分
とみ様
こちらではようやく5月にこのシネマ歌舞伎が上映されます。遅い!でしょう。涙です。生の舞台も観てません。無理しても行けばよかったのに。後悔してます。
背後霊…そうでしょうね。
謡っておられるのですか。以前、御園座で求めた玉三郎丈のシャンソンのCDは大事にしてます。
夜叉が池の映画も観ておりません。どこかにビデオかDVDないかと探しております。
投稿: hitomi | 2007年4月19日 (木) 21時32分
>てぬぐいさま
貴宅で読み解かれた,玉三郎花子はこれまでの道成寺を踊られた全ての女形さんの想いを背負った背後霊で,いずれ,玉様もそうなり,菊様にもその日が来るという解釈は素敵です。
実はワタクシが拝見した日は謡っておられ,しかもカノンでした。始めはユニゾンで謡っておられ,最後は無言だったとか。映像の縦一列も鳥肌でした。あのように見えるのはごくわずかな位置ですから,映像はありがたかったです。
投稿: とみ | 2007年4月 7日 (土) 00時00分
とみさまのお考えや寄せられたコメントを拝読しているうちに、ただただもういちど「京娘²。」の舞台をみたくなりました。
できるならなら今すぐに、柔らかい陽射しに包まれるこの桜の時季に、パァーっと舞台から見物に注ぐ光も浴びたくなったのです。
潜在下に刷り込まれっちゃってるんでしょうか。
:
先日、お花見の桜の下で、知人と縦並びで歩いてみました。
投稿: てぬぐい… | 2007年4月 6日 (金) 20時09分
>六条亭さま
決定版の劇評の六条亭様のお目汚しになりましたかと存じますがコメントありがとうございました。
丈は,今を残したいという意図がお有りのようですね。あまりに壮大に時空を超えた支配をなさろうという執念のようなものを感じて,ゾーとなっております。網膜に念写されましたので,生涯消えません。身震い,鳥肌…。
あ,玉三郎教の教義まとめなくては…。
投稿: とみ | 2007年4月 5日 (木) 01時28分
>スキップさま
コメントありがとうございます。今のところ二回拝見しました。13日までですので,少なくともあと一度と目論んでおります。
お衣装の豪華さ,懐紙,簪,中啓,なにもかも拘りのあるお品に見入ってしまいます。
それにつけてもあんなに怖い怖いお顔なさらずともと思いました。同行者は,「目合うたらしまいや。」とゆうてました。
あの年の南座舞踊公演の「紀州道成寺」と「日高川入相花王」の公演も怖かったのを思い出しました。
投稿: とみ | 2007年4月 5日 (木) 01時18分
「サブリミナル玉様」とは、とみさまらしい鋭いご指摘です。ほんの一瞬ですが、四箇所あったことは既にコメントされている通りです。
この映像のマジックにより、『京鹿子娘二人道成寺』の二人花子の二重性、といいますか光と影がより明確になったと思います。舞台とは同じであり、また別物。素晴らしい映像を記録していただいたことに感謝しなければなりませんね。
投稿: 六条亭 | 2007年4月 4日 (水) 22時00分
とみさま
トラックバックありがとうございました。
私もmidoriさんと同じく、「玉三郎丈がお見せになりたいものだけを見せられる」にいたく感じ入りました。この道成寺にしても「天守物語」にしても、玉三郎さんの手になった作品は、“丈がお見せになりたいもの”と思っておりましたが、それでも劇場では、確かに観客は心のままにいろいろなところに気をやり視線を送っているのですね。
映画監督としても実績をお持ちの玉三郎さんの美意識が端々にまで行き渡った映像美を、また見たくなりました。
投稿: スキップ | 2007年4月 3日 (火) 02時24分
>まこさま
コメントありがとうございます。
所家との問答のときの差し替えは,意図が分かりませんでした。花笠とただ頼めでおおっでした。映像の挿入時間は短い方がよいです。で,既に見落とした所あったのか気になった次第です。
思い違いと思い込みはおばちゃんの専売特許ですから…。
投稿: とみ | 2007年4月 3日 (火) 00時19分
TBいただき、つい野暮と思いながら・・・
サブリミナルは、3場面4ヶ所と思われます。
所化との問答で2ヶ所、花笠踊りで1ヶ所、ただ頼めで1ヶ所。花笠が一番サブリミナってました(笑)。
映画の方が二重性を強く感じました。
どちらもステキでしたねぇ
投稿: まこ | 2007年4月 2日 (月) 23時26分
>midoriさま
>首がもげる程うなずいてしまいました!
お首は大切になさってくださいませ。当たり前すぎることを書いたつもりですが,うなずいていただけましたらうれしいです。
さらに突き詰めて考えると,歌舞伎座では,映像作品を菊之助丈と一緒に実演で体験させていただいたという見方もできます。
熱演で拍手と感動を取るメソッドとは別の時空を生きておられることは確か。異星人と称される所以でしょうか。
まー,おばちゃんは暗示にかかりやすく,かかったら思い込みが暴走しますから…。聞き捨てなさってくださいまし。
投稿: とみ | 2007年4月 2日 (月) 19時54分
>ぴかちゅうさま
コメントありがとうございます。
映像作品となるとディティールで齟齬が見えるのですが,細部までの心配りにますます凄さが分かるというところがさすがです。ソフトフォーカスやエフェクトかけておられるかと妄想していましたが,クリアーな映像でした。
投稿: とみ | 2007年4月 2日 (月) 19時07分
私はナマで観ることは出来ず、映像のみ東京公開の際、
拝見しました。
>劇場では,観客ひとりひとりが心ごころに見て良いが,シネマでは,玉三郎丈がお見せになりたいものだけを見せられる。別の芸術作品の創出という観点からのメリットも魅力的だ。
とみさまが書かれたこの一文に、首がもげる程うなずいて
しまいました!
でも、叶わなかったゆえに、劇場で心ごころに観れたら?!
との、夢想に想いも馳せてしまいました。
(^^;
私は単独での感想アップが出来ませんでした…。
1月観劇を振り返って拝見しました、のご報告。
でも、思い切って、トラバさせていただきます!
投稿: midori | 2007年4月 2日 (月) 09時58分
こちらの記事での映像化の魅力に絞ってのご考察、面白く拝読させていただきました。
私も東劇で観て、シネマ歌舞伎として仕上がった別の宇宙に持っていかれたという感想を書いております。やはりTBができません。URLを書かせていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/pika1214/d/20070121
TBのやりとりができないブログはやっぱり物足りないのでgooさんに文句を言おうかしら。
投稿: ぴかちゅう | 2007年4月 2日 (月) 00時57分