降り物に頼らない蜷川「コリオレイナス」
演出家・蜷川幸雄氏は,花,雨,雪,石,血,馬及び伝単(ビラ)等,大量の降りものを演出のキーアイテムになさることが多いが,「コリオレイナス」では何も降らなかった。
降り物は,場面の印象を強烈にし,統合感で劇場全体をカタルシスに包む(ワタクシ的降り物のドギモNo.1は,映画「マグノリア」の○○○である。)が,浄化するあまり,ひとつ間違えると,それまでのことが些事になってしまうリスクも負う。雪は特にそうだ。まっとうな演出に,なみなみならぬ決意が伺えた。
で,今更ながらであるが,「オレステス」の終幕で降った大量のビラに突然思い至った。
![]() 演劇 |
「伝単」とは,軍略として,戦争相手国の市民,兵士の継戦意欲を失わせるため,あるいは投降を促すために配布されるビラをいう。紙爆弾とも称される。
日本軍は,伝単により,西南,日清,日露戦争及び大陸侵略で大きな効果を上げた。第二次大戦で米軍向きに作成したものは,郷愁を誘い,国の恋人への思いを掻き立てるものが中心で,ラジオでも女性アナウンサーが甘い声で語りかけたようだ。
一方,米軍が,昭和20年初め頃から,日本国土に撒いた伝単は,日本の敗色確実の戦局を客観的に伝えるものであった。日本国民は,拾うこと読むことは厳しく軍に禁じられた。
蜷川さん配布のビラは,明らかに後者のイメージ。その柄も星条旗で,「オレステス」での使用意図は,観客に空爆の恐怖感を想起させるためのものと思われる。しかし,若者は紙爆弾を知らないうえ,高齢者も忘れていて見事に外した。配慮の無さや不謹慎のそしりとぎりぎりの勝負となるが,別の演出腹案があったのではないだろうか。唐版「滝の白糸」では,水芸の水が一瞬にして噴出する血となった(ヒエー)。オレステスの雨は,黒い雨に変える予定だったのではなかっただろうか。蜷川信者の妄想であるが…。
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コメント
>スキップさま
スキップさまはお忙しいのに浄書なさるところがエライです。
仏壇,雛壇ほどのインパクトは薄れつつありますが,蜷川さんの健在を示された舞台でした。
そうそう,冬タン遠征しませんでしたので放映が楽しみです。ひばりも…。
投稿: とみ | 2007年3月23日 (金) 19時30分
とみさま
コメント&トラックバックありがとうございました。
「コリオレイナス」で降り物がなかったことに端を発し、「オレステス」に、ひいては旧日本軍に至る議論の拡がりは、とみさんらしく、そしてとみさんのサイトらしくてとても読み応えがあり、うらやましいです。知的好奇心をビンビン刺激してくださるこんなエントリをこれからも期待いたしております。
それにしても「コリオレイナス」の装置や舞台上の人の置き方の美しさはどうでしょう。蜷川さんにかかれば仏像も般若心経も舞台美術のひとつですね。
投稿: スキップ | 2007年3月23日 (金) 03時17分
>JUNSKYさま
当方に丁寧なコメントありがとうございます。
一人盛り上がっているだけでなくお付き合いいただきうれしいです。
いよいよ本題です。なんでもジャパナイズ又はアジアナイズする蜷川演出。戦争こそ日本又はアジアに翻案しなければならないと思います。ここを避けている限り,ぬるい気がします。
舞台は旧日本軍の統治下の南京。
「近衛玲奈」は,華族出身の日本陸軍のエリート将校。「蒋王賦」は中国国民革命軍の指導者で,日本陸軍に留学体験を持つ。こちらもエリート将校。留学中に,二人は陸軍学校のライバルであった。近衛は,南京を殲滅した功により,「長江龍」という称号を得る。しかし,近衛は満映制作のやらせの記録映画に出演を命じられ,これを拒み,抹殺されるところをからくも脱走。国民革命軍の蒋に投降し,日本軍の敵となる。しかし,二度目の裏切りにより,中国人民に地祭りに挙げられる。こんなところで震撼とさせたいもの。
旧連合国・英国に媚びた演出とのそしりと紙一重ですが,老い先短いと標榜しておられるのなら,やってみる価値はあると思います。
全く話変わって,付和雷同の大衆の方の主題ですが,お若い頃,日本国内で評価が低く,海外で高い評価を得てから,日本人が自分をちやほや始めたとよく,日本の演劇評論家や観客を揶揄する発言をなさってました。今言うと確実にアホですが,トラウマが言わしめたとしたら,かわいそうやったなーと言ってしまいそうなおとみです。
投稿: とみ | 2007年2月26日 (月) 21時06分
コメント返しありがとうございます。
「オレステス」は、BUNKAMURAシアターコクーンで見ました。
立見席だったので、黒子さんが「ビラマキ」を真横でやってましたが、私の席より下には降ってゆきましたが、私は手に入れられませんでした。
横で見ていた感じでは、星条旗だけではなく、各国の国旗が入っているビラに見えました。
残念ながらもらえなかったので、何のメッセージが書いてあるか解りませんでした。
最後の轟音が米軍の爆撃か何かを想起させるものであることは確かでしたが、
>「オレステス」での使用意図は,観客に空爆の恐怖感を想起させるためのものと思われる。
と言われるとなるほど、と今頃感心しました。
やはり、中東諸国の国旗だったのですね。
と、オレステスの話ばかりでしたが・・・
コリオレイナスでは、復讐の形が少し違っていて、それも冷徹な武人であったマーシアスが母の愛に負けてしまうという理解を超えるもので、言いたい事が良く解りませんでした。
「民衆は軽薄で煽動にのせられ易いものだ」というメッセージは割りと明確だったように思えますが、これは、シェイクスピアが最終的に到達した概念でしょうか?それともニナガワ氏が今の日本人やイギリス人に言いたい事なのでしょうか?
あるいは、シェイクスピアが民衆と描いている者たちをニナガワ氏は小泉や安倍やブレアと見立てているのでしょうか?そうであれば、日本と英国で上演する意義は大きいと思います。
みなさんは、如何感じられましたか?
投稿: JUNSKY | 2007年2月25日 (日) 23時41分
>ぴかちゅうさま
>現在中東で紛争中の諸国家の国旗と国歌」だったことに注目し、「今も復讐の連鎖はやんでないぞ、ホラ」
最初,素直にそう考えたのですが,日本の若い観客の心に届くわけねーだろが…。この演出でそう思ってもらえると思うのなら,蜷川さんもおしまいやでと思ったまでです。何処までも大甘おとみでございます。
黒い雨でしたら,野田さんのパクリとそしられたかも…。
投稿: とみ | 2007年2月25日 (日) 19時19分
「伝単」については私も知ってました。
>「オレステス」での使用意図は,観客に空爆の恐怖感を想起させるためのものと思われる。
私は客席に降らせたものが「現在中東で紛争中の諸国家の国旗と国歌」だったことに注目し、「今も復讐の連鎖はやんでないぞ、ホラ」とつきつけられたように受け取りました。しかしながら空爆の恐怖は全くイメージの外でした。
客席に降らせたもので最近では「冬タン」の孔雀の羽根が美しかったです。舞台の上では「リチャード三世」の馬など、「将門」の石は◎。「オレステス」の雨は×でした。劇団☆新感線の「朧~」の雨くらいが適量でしょうね。
投稿: ぴかちゅう | 2007年2月25日 (日) 04時05分
>向日葵さま
独善的なエントリにコメントいただきありがとうございます。
ペリクリーズもアジアンでこれ以上ない美しい演出でした。仏壇マクベスは,滋賀県立びわ湖ホールこけら落としで拝見したのが最後でしたが,制作費を投入した凄い作品でした。英国演劇が時制,国籍を抽象化したシンプルなものが多いだけに,楽しさとリッチ感でドギモを抜いてきてほしいものでございます。
アルメイダ劇場のレイフ・ファインズ&ライナス・ローチ,ジョナサン・ケント版の刷り込みがあるのか,傲慢の悲劇と受け取ってしまっております。唐沢さんも剛の者というより誇り高い貴種のイメージです。
あ,十二神将にして欲しかったかな。お経より声明希望。
投稿: とみ | 2007年2月24日 (土) 00時40分
降り物なし、は、私も意外でした。
なぜだろう。 鏡に映った観客自身に、降り物でカタルシスに浸ってしまわれず、思考停止せず考えてもらいたかったのだと思います。
脚本やセリフ単体では共感難い台本だと思いましたが、なぜかすっきり受け入れられたのです。
時代物の歌舞伎を見た時と同じ感覚。
論理ではなくエネルギーで受け止めた感じです。
台本自体は不条理だけど、不条理な中に普遍的な人間の問題を感じ取って、それを力のある役者さんの役者力が伝えてくれていると思います。
舞台に関しては、昔の”仏壇マクベス”を彷彿とさせる、アジアン美を感じました。
お経やら四王王の意味理屈を考えてしまいがちだけど、多分、蜷川氏は理屈ではなくアジア的な空気をあらわしたかったのだと思います。その点で仏壇マクベスと同じかな、と推測。
私の好みとしては、オレステスよりも格段と良かったです。オレステスは舞台にお金はかかっているのがわかるけど観客から”遠く”感じたのでした。
今回は、観客と真っ向勝負が感じられ、気持ちよかったです。
観客に向けたライティングの効果もあるかも?
同じ舞台でも、マーシアスの印象、人により異なり興味深いですね。私は傲慢さよりは、人間的な弱みを理解しない神的な高潔さ、を感じました。理想に走り周りを見ないナルシスト的、でも高潔、といった印象でした。
そうそう、私が観劇したのは2月3日節分の日さいたま版・・大阪版では若干変化しているのかも?
投稿: 向日葵 | 2007年2月23日 (金) 23時00分