国立能楽堂で椅子の背もたれに電光字幕
6月28日付けのYOMIURI ONLINEでタイトルの記事が掲載されていた。文楽のように幕の上でなく前の座席の背もたれに表示されるようだ。英字などチャンネルの切り替えも可能というのが価値あると思われる。ユニバーサルデザインの視点を,ナショナルなところからというのも理にかなっている。
ワタクシ的には字が小さいのと,字が動くのは苦手である。
能、能楽 |
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和楽
コメント
>かいちょさま
>お能は,ちょっとウトウトしちゃってからおきても,あまり変わっていないことが多いですね。
いつもながら,核心にせまるコメント。
能は,愛憎や嫉妬という激しい情念や生や名誉への執着という様々な主題を幽玄という美意識に変換してしまう凄い演劇様式と思っております。
幽玄が身につかない者としてはヒント欲しいですね。
リズムも睡眠には心地よいですし…。
一曲全文黙読したら2分かな。現代語と英文に興味あります。思わぬところで笑いが起きたりして…。
投稿: とみ | 2006年7月 5日 (水) 01時25分
とみさま
驚きました!
前の座席の背もたれに表示とは。
せっかく今、目の前で演じているのに、資料を読んでいたらもったいないわと、おせっかいなコトを思うときもあるのですが。(歌舞伎や狂言のときにはね)
お能は、ちょっとウトウトしちゃってからおきても、あまり変わっていないことが多いですね。もうちょっとヒントを下さいと思うことはあります。
でも、字が動くのは気が散りそうでどうかなあ。
こうなると、イヤホンガイドって画期的って思います。でも、音モレはこまりものですね。イヤホンガイドコーナーとか作るのはどうでしょう。 ココで提案されても困りますね。
気になるニュースでした。
投稿: かいちょ | 2006年7月 5日 (水) 00時16分
>心ないエントリ.....だなんてそんなことないし、むしろ嬉しく受けとめました。
「字幕」という方法は、時代の変化とともに江戸時代以前の人間にはちゃんと聞き取れて楽しめた言葉が外国語のようになってしまっている多くの現代人が古典芸能を理解し楽しむための一つの方策だと思っています。字幕がない方がより楽しめるのにと思っている方の気持ちは私も理解できます。また初心者でも字幕はいらないという方も少なくないでしょう。そういう方にも欲しいという意見を認めていただいて共に楽しめるようになったらいいなと思っていることをわかっていただきたかったんです。
楽しみ方は多様でいいはずなんで、ブログで皆様のさまざまな楽しみ方をされているご様子を知ることでまた新しい刺激をいただいているのです。
こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
投稿: ぴかちゅう | 2006年7月 1日 (土) 00時14分
>ぴかちゅうさま
そうでしたか。不勉強失礼致しました。
それほど是非論が紛糾しているときに,心ないエントリでございました。
ぴかちゅうさまがお立場を明らかになさいましたので,おこがましくも申し上げるなら,ひとりでも補助装置を必要とする方がおられる限り,選択肢を用意するのは,世界遺産を次世代に継承しなければならない当代の務めと考えます。
また,意見を申し上げる素養や体験がございませんのでツリーには参加致しませんが,これからもよろしくお願い致します。
投稿: とみ | 2006年6月30日 (金) 23時23分
ずいぶんと拙ブログで「字幕」のメリット・デメリットで盛り上がってしまいました(^^ゞその記事をTBさせていただきました。
国立能楽堂提供のイメージ写真によると国立能楽堂の字幕はてぬぐいさんのところにあった米国製の『フィガロシステム』の写真とは違って座席の背中の部分に映されて、機器が席の上に飛び出していないようですね。上に飛び出していない方が隣の方が使われていても比較的気になりにくいと思います。
「字幕」をどうしても目に入れたくない方への配慮でこういうシステムを入れるのでしょう。特に能狂言ファンにはこだわられる方が多いと思われますので反対意見の方の賛同も得やすいのだと思われます。まあ私も老眼始まっていますから、前方に大きく「字幕」つけていただく方が有難いです。
どうしても言葉で理解したい左脳人間の私としては「字幕」がある方が楽しめますので、導入後に古典能デビューを検討したいと思っています。
投稿: ぴかちゅう | 2006年6月30日 (金) 02時32分
>kirigirisuさま
コメントありがとうございます。
>「観世寿夫世阿弥を読む」という本を読み始めたところ
さすが,博識のkirigirisuさま。
>能のうつくしさは、ドラマを超越したところから生まれてくる生命感
ストーリーは,源氏物語や平家物語の深い情念や激しい諦念をソフィスケートし,人の心の美しさに主題お置いたものと思っています。能楽師のご本も読んでみようっと。
ワタクシは残念ながら,字幕は前方しか見ること叶いません(爆)。
投稿: とみ | 2006年6月29日 (木) 23時29分
今、観世寿夫さんの「観世寿夫世阿弥を読む」という本を読み始めたところなのですが、その中で「謡」について書かれているのがとても興味深いです。「ストーリー自体は単にその曲に入っていくための手がかりであり、表面的な筋書きはたいした問題ではなくなる」「能のうつくしさは、ドラマを超越したところから生まれてくる生命感」というようなことも書かれています。
歌舞伎も同じく、何を言っているかわからないという人のために、国立劇場の鑑賞教室では義太夫の字幕が出しています。字幕が出てきたところで、その言葉の意味を理解できるとは限らないし、演じられているものを見て感じるまたは理解しようとすることよりも字面を追うことになってしまうような気がして、ちょっと疑問に感じています。
投稿: kirigirisu | 2006年6月29日 (木) 15時21分
>かしまし娘さま
謡曲は,文字にしたらあまりの短さに拍子抜けするかもしれません。
歌舞伎,文楽,能世界遺産三役そろい踏みのなかでは,能が最もグローバルスタンダードな情念のように思います(謡曲だけは読んでますねん。)。外国のお客様にはぴったりですね。
鰻谷は,大阪でも中心市街地でないと理解できないと思われます。超弩ローカル。
投稿: とみ | 2006年6月29日 (木) 12時43分
とみ様、まいど!
遂に、能楽堂までデジタル化。
明るさが気になりますが…。座席の後ろ全てが光るって事になのかなぁ。
個人でスイッチのON・OFFはないのかしらん…。
能ってそんなに劇場全体が暗くなかったでしたっけ?だから明るくても気にならない…?
年に1度しか足を運ばないので実感がないですが…。いや、ほとんど寝てるんで実感がない。の間違いでした…。
投稿: かしまし娘 | 2006年6月29日 (木) 08時02分
>悠さま
コメントありがとうございます。
長くもない観劇可能な期間。言語,目,耳,足及び財布。どれがへたっても叶わなくなります。おそらく滅ぶ順序は,目,財布,足,言語,耳の順と思われます。
舞踊公演の中入りでシテが引っ込み,三味線の渾身の演奏に目が冴え,後シテが出てこられて爆睡することあります。兆候きてます。
で,イヤホンガイド好きです。
素謡いまた習いたいです。
投稿: とみ | 2006年6月28日 (水) 22時01分
アメリカ映画を字幕でみてるみたいなもんだから、いいんではと思うのですが。字が小さく、動くのはねぇ。
舞台横に字幕がでてたのは、「その河を越えて、五月??」@平田オリザ、蜷川「天保12年のシェイクスピア」、萬斎のホール狂言でも、字は動きませんね。
私の場合は、映画は、字幕で、歌舞伎の場合、長唄、義太夫のとこだけ、詞章をペーパーでほしい、ってのが希望です(能は、謡本があるし、A4、3枚程度のものいただける、とこもあるので。
投稿: 悠 | 2006年6月28日 (水) 21時11分