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2005年7月

2005年7月26日 (火)

中村勘三郎襲名披露興行夜の部・ノリノリの大阪松竹座でした。

チケット争奪戦に出遅れ,24日夜の部一度だけの観劇となった。発売日に何をしていたのか悔やまれる。
とはいえ,地の利,可処分所得及び自由時間に恵まれない身。ただ一度の観劇はいつものこと。心に焼き付ける目は養われているはずである。これについても,日を改めて記述するとして・・・。
宮島のだんまり,大津絵道成寺及び研辰の討たれ全て初見。
宮島のだんまりは口上のない夜の部のため,趣向を凝らして芝居半ばではございまするがと劇中の口上が始まる。勘三郎丈は大江広元役。芝翫丈の傾城浮舟太夫実は盗賊袈裟太郎が豪華絢爛。舞台狭しと展開するだんまりにどこをみてよいやらごちそうごちそう。
大津絵道成寺の引幕は昼の部でも使われた藤娘幕。道成寺のパロディで,大津絵のキャラクターが娘道成寺を踊る。雁治郎丈が,藤娘,鷹匠,座頭,船頭及び鬼に変化するもので,客席からあれは扇雀か翫雀というささやきがもれ聞こえていた。お若い。三井寺から琵琶湖を臨む書割がおうちに帰った気分。
眼目の研辰。これだけ評判になった演目にもかかわらず,関西初演のためワタクシも初見。野田秀樹さんのお芝居である。最後はあっと驚く趣向と浄化と滂沱の涙を流させてくれる。象徴的な装置の使い方,回り舞台を駆使したスピーディな場面転換。ポップで愛らしい色調のお衣装。実は野田さんのお芝居は,お衣装が芸術的で,世界や役所が想定しにくかったりする年寄りに程よく親切。
ご出演者のテンションも高い。野田さんの芝居ならではの爆走感が快い。
私もスタンディングオベイションをさせていただきました。

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2005年7月25日 (月)

今日から福井さんがラム・タム・タガー

5月26日に今日から福井さんがマンカスという書き込みをしたが,7月25日は上記のタイトルである。
福井さんがマンカスの間の7月9日に見ておいてよかったと連れと喜び合った。その日は芝さんだった。カテコでミストの真似をして照明さんと遊んでおられた。
タガーはモテモテのツッパリオス猫。一見天邪鬼であるが,友情に厚くマジシャン・ミストフェリーズには敬意を表している気のいい奴。
黒っぽい豹柄のコスチューム。自信家。時代的にエルビスやミック・ジャガーを意識した腰付き。福井タガーは,カッコよいが,超モテモテに照れがあって滑る。タガーもありかというリピーターにはうれしいが,遠征組にはマンカスでお目にかかりたい。
あー。今週末アイーダ行くのに気が付いてしまった。もちろん阿久津ラダメス!タノシミ!

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2005年7月18日 (月)

スターウオーズ・エピソード3

予定外の時間が出来たので,スターウオーズ・エピソード3を見に行った。時間単価が安い娯楽の王道はやはり映画である。
上映中につき,私的ブログといえどもネタバレは避けて…。
第一作から28年を経て完結とは,それだけでも叙事詩にふさわしく価値あることと思える。28年前は,映画といえども晴れの日だった。この作品はぜひ2階で見たい(あればの話)。大阪松竹座が映画館だったときは2階はあった。ついこの間まで健在だった京都松竹座も気積が大きく快適な館だった。
ややこしいが,「物語の次世代が制作が前世代」で,「当代が物語の前世代」と逆転しているところがワタクシ的には興味の焦点。
EP4〜6は,少年の成長,少女の変貌,師弟愛,友情,兄妹愛,まっとうな恋愛,祖国(地球)愛,勇気,正義,使命感とこれでもかのてんこ盛り。全ての少年少女はこれを見よと絶叫したいものであった。30年前は正義やデモクラシーが信じられていた時代であった。
さて,EP3は,権力と暴力が支配する時代,超越した悪の力に魅入られた傲慢な若者の悲劇で今日的。このテーマの作品はたくさんあるが,EP3は,なすすべのない大人の嘆きの視点で描かれていたのが,甘く矮小的な感じがする。希望がある未来が,実は輝かしかった前世代というのが,本物のSFの世界に迷い込んだかのようで震撼とする。
妊産婦は見てはいけません!
姑獲鳥の夏もR妊産婦指定を!

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2005年7月15日 (金)

生まれたのか!

闇の中に響く開幕第一声!
マンカスは福井さんしかありえない。しかし,福井さんは,ラダメスもいけているが,やはり,マンカスが水を得た魚というか,魚を得た猫である。軍事大国の将軍より下町のリーダーが似合う。
その福井マンカス見たさに,東京の五反田までキャッツ観劇遠征を決行した。
折りしもキャッツ上演6000回記念の次の日で6002回目に相当する公演だった。また,品川以来の専用シアターなので楽しさはひとしお。これまでのどの劇場より,小技が利いている。人気の回転席はゲットできなかったが,ジェリクルギャラリーという舞台直上のサイドから見物できる摩訶不思議な席で見物できた。
センターで歌い踊る猫はもちろん素晴らしいが,バックで控えている猫たちがよく見える。中でもお行儀の悪さでマンカスは目立っていた。アーアとだらけているところ,耳をピクとそばだてるところなども人間業とも思えない。
20年も続いていれば,観客の高齢化も進んでいるかと懸念したが,(歌舞伎座の帰りに寄ったことを差し引いても)客層は若かったように思える。
老いた猫に共感が得られるよう作劇されているのに,不思議である。
蜷川幸雄さん演出の過激な若者賛美のロミジュリに高齢者が多いのと同じくらい不思議かもしれない。大阪MBS劇場はいま別の劇場に生まれ変わり,藤原竜也主演の三島由紀夫・近代能楽集「弱法師」が上演されているようだ。心は動くが財布が悲鳴をあげている。

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2005年7月12日 (火)

NINAGAWA十二夜・劇評を見る前に

歌舞伎座七月大歌舞伎「NINAGAWA十二夜」を観劇してきた。
思えば2ヶ月余りの日々,仮想配役,外題仮想(What you willも含めて),仮想役名,仮想のお衣装,仮想の早変わり,仮想の装置,仮想の演出と十分楽しみ尽くした。まず,このような楽しみをいただいたことに感謝したい。そういう意味では,私にとって見なくてもこの公演は既に成功しているのである。
そのうえで,全ての雑念を捨て観劇した答えは,尾上菊之助丈に尽きるということである。
シェイクスピアを日本の歌舞伎に翻案して上演することに,さほど目新しさがあるとも思えないし,蜷川幸雄さんはそんなことは百も承知のうえでの取組かと思われる。功成り名を遂げた蜷川幸雄さんが,ただ尾上菊之助丈のためだけに冒したリスキーな挑戦というのが感動的であった。
十二夜が戯曲として優れているにもかかわらず,上演回数が多くないのは,配役の難儀によると平田オリザさんはいう。男装も似合う美しい主演女優と,ヒロインとそっくりな二枚目俳優さんが必要というのがその理由だそうだ。女優さんの二役は,もつれた糸を解きほぐす美しい若者の颯爽とした登場という大団円において確実に興醒めとなるらしい。これらの全ての命題を解決できるのは,男女二つのセクシャリティと男女及び若衆・三つのジェンダーを自在に往還できる唯一無二の俳優尾上菊之助丈しかありえない。
類稀な容姿と美声,天性のセンスと確かな実力に支えられ,清新な芸風の丈は,これまでに演じられた数々のお役においてその魅力を発揮されてきたが,どれも及第点であるがゆえ,畢生の当たり役には恵まれておられなかったように思う。この狂言こそ蜷川さんが丈に与え賜うた贈り物と信じて疑わない。
主君のオーシーノ公爵のため,恋敵のオリビア姫の恋の使者の役回りを演じるヒロインヴァイオラの健気さ。亡くなった妹に仮託し,公爵に娘心を語るいじらしさ。男姿のまま娘として独白する妖しさ。出ずっぱりでありながら変幻自在で,ずっと見ていたいという思いに駆られるのは丈贔屓だけではありますまい。
贔屓が見たい尾上菊之助丈を見せてくださった蜷川幸雄さんにひたすら感謝したい。
もうそろそろプロの演劇評がでるころか。贔屓の私でも書きたいことはあるが,けなされると悔しい。かといって,手放しの大成功とあれば,おいおいそれは違うとも言いたい。今月,また見たい,そして,再演,再々演も見たいというのが心情である。

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2005年7月 4日 (月)

ゴッホ展

会期も詰まってきたので,大阪国際美術館にゴッホ展を見に行った。炎の人ゴッホだけあって,長蛇の列,押すな押すなの大人気。
学習と感性不足を知る。独創的な作風で,時流に先駆けすぎて画壇に受け入れられなかったかの印象を持っていたが,先人(ミレー)や異国文化(日本の浮世絵)に真摯に学び,同時代人(ゴーギャンやセザンヌ)と切磋琢磨しながら芸術家の理想郷を目指したということが分かりやすく展示されていて,初心者にもファンにも優しい展覧会。魂が咆哮する絵ではあるが,ピュアな青年の真摯な創作活動の賜であった。
一昨年,日本でも上演された画家ゴッホ誕生の瞬間を綴った戯曲「若き日のゴッホ」に登場する「長靴」の実物にお目にかかれ,舞台の感動を新たにした。実はこの「長靴」がどのような経緯で描かれ,何を意味しているのかは謎のままという。

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