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2005年6月

2005年6月29日 (水)

粟津の晴嵐

今年は,梅雨の最中ではあるというのにまとまった雨は降っていない。今日は久々の雨模様。晴れているのに雨が降る通称「狐の嫁入り」も楽しめた。
粟津の浜は,浜大津から近江大橋,膳所城を経て瀬田の唐橋の近くまで続く一帯で,景勝の地として近江八景にも「粟津の晴嵐」名を連ねている。往時の水際は今よりずっと南で,旧東海道は波打ち際を通っていたようだ。
義仲寺は,この旧東海道に沿って建つ。 義仲は,木曽殿・源義仲のことで,境内に墓所がある。
治承4年(1180),義仲は信濃に平氏討伐の挙兵をし,平氏の大軍を討ち破り,京都に入ったが,寿永3年(1184),鎌倉の源頼朝の命を受けて義仲討伐のため,都に上ってきた源範頼,源義経の軍勢に大敗し,この地で非業の最期を遂げた。
その後,麗しい尼僧がこの公の墓所のあたりに草庵を結び,供養三昧の日々を送ったという。この尼こそ,義仲公の側室巴御前の後身であったということになっている。
戦国の頃には,近江国守佐々木氏が再建し,江戸時代に芭蕉翁が訪れたことで有名になる。義仲贔屓の芭蕉翁はこの地を墓所に選んでいる。
度重なる水害や社会情勢の荒廃により,荒れ果てた境内地が整備されたのは昭和40年(1965)から。
芭蕉翁の命日に近い10月の第二土曜には,時雨忌の法要が営まれている。句碑も一杯。
行春をあふみ(おうみ)の人とおしみける 芭蕉
木曽殿と背中合せの寒さかな 又玄
  

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2005年6月24日 (金)

京阪京津線

普段は大津から京都まで,JR琵琶湖線で通勤しているが,遅くなるとどうしても,心にも体にも優しい京阪京津線の利用となる。
何と日本で唯一,4両編成で路面を走る電車だそうだ。路面は2両以上だと国土交通省の認可は下りないという。が,そこは大津は地方都市。許せる交通量だったのか。
この経路は謡曲竹生島に謡われた道筋。車内で思わず「竹に生まれる鶯の〜。竹に生まれる鶯の〜。
四ノ宮や。河原の宮居末早き。河原の宮居末早き。名も走井の水乃月。曇らぬ御代に。逢坂乃関の宮居を伏拝み。山越え近き志賀乃里。鳰の浦にも着きにけり。鳰の浦にも着きにけり。」
と,口ずさんでいるうちに,電車は山科,四ノ宮から,におの浜に着く。
先週見損なった,芸能花舞台・能と歌舞伎による竹生島が明日放映される。タノシミ…。と思いを馳せてみる。
逢坂の関,蝉丸,琵琶,弁財天,竹生島,琵琶湖とカノンになっているヽ(^○^)ノファーーァ!。JR6分,京津25分…。

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2005年6月21日 (火)

京阪石坂線

京阪石坂線は,大津市の石山と坂本を結ぶ約15キロメートルの2両編成の路面電車である。沿線には古代から,中世,近世及び近代と各時代の歴史を物語る史跡名勝,近江八景の大部分が点在する。また,記紀万葉,源氏物語,平家物語,謡曲,俳諧,歌舞伎など様々な文学の舞台となり,天智天皇,木曽義仲,松尾芭蕉,紫式部等ゆかりの人物も豪華。車窓からの琵琶湖が見え,我々大津市民にとっては,ひとつの都市軸となっている。
3年程前,この電車が赤字のため廃線となる騒ぎが起こったが,その後事なきを得ている。こまめに乗車しようという試みは細々とあったが,8月から来年2月まで史跡めぐりキャンペーンがあるという。
私的には江ノ電に相当する地域イメージをアップするステータスと認識している。沿線の高校も偏差値は高い。
9月にはびわ湖ホールで市川海老蔵襲名披露興行地方公演で実盛物語がかかる。盛綱陣屋,竹生島もにおの入り江が出てくる。ご当地ものと喜んでいたが,日本全国で実盛物語らしい。なぜだ。

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2005年6月20日 (月)

プラハ交響楽団

プラハ交響楽団が客演するというので,久々に京都コンサートホールに出かけた。
最近は,チェロかヴァイオリンのソロコンサートしか行っていないので,会場は専らアルティである。
ロメオとジュリエット,プラハ,ローマの松など,華やかな曲が中心のプログラム,音量もたっぷり,音色も分厚く十分楽しめた。
父の日だったのか,会場は高齢の男性がいっぱい。コンサートや観劇で男性客が多いという状況はついぞ体験がない。喜ばしいことである。しかし,コンサートホールの計画は一応バリアーフリーとなっているが,段差とスロープが厳しい。
クラシック音楽全体がエンタメ市場として縮小気味であるが,全ての年齢を対象とし,健全な娯楽として復権していただきたいものである。

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2005年6月18日 (土)

玉三郎丈特別舞踊公演・マイ千穐楽

写真入り筋書きなりとも購入しようと,南座へ。思いがけなく,「夢のようなお席が一枚出てます。あなたラッキーです。」と告げられ,敢えなく財布は全開。
本日の公演も,益々美意識が研ぎ澄まされ,高い精神性に打たれた。
「船辨慶」。松羽目なしで背景は黒一色。能舞台の屋根。鳥屋の揚幕が,松羽目に使われる五色幕。明きは横引きだが,立役さんが出られるときもシャリンという音はない。
梶取(カンドリ)さんは水主(カコ)なしで孤軍奮闘。四天王は省略し,従者は2名。間狂言風の水主梶取の舞いは省略。前シテから後シテまでの待ちが短い。曲も緊迫感あふれ,囃子方も渾身の演奏。
筋書きには,丈が能取りもののお衣装をご注文なさる佐々木能衣装店の佐々木さんの寄稿と,これまでの舞台写真が掲載されてました。ロングインタビューがメインの記事。白のリネンのスーツ姿にうっとり。
さて,義経公のお衣装の袴と陣羽織は2002年,歌舞伎座・尾上松緑襲名披露公演で,玉三郎丈が義経公を演じられたときにお召しになられていたお衣装に間違いないかと思われる。袴は,佐々木能衣装店謹製で,波に御所車の重厚なもの。今公演の薪車丈は,笹竜胆の図柄。静のお衣装とペア風で,紫の陣羽織とよく映る。お背も同じくらいか(☆-☆)。
初日,義経公が出られた瞬間「あー,あのお衣装は…。」と,うるうるになったわけがこれ。芸術品のような特製のお衣装が玉三郎丈の一部であるように,相手役さんも玉三郎丈の一部である。
それにつけても,お衣装を拝領し,襲名披露を飾られるとは,なんという晴れがましさ。若い方を思う玉三郎丈のお心のゆかしさがしのばれる(;_;)。
初日の義経公は,静を見まいと背を見せ肩で泣いていたが,本日は,静が泣いても義経公は泣かずにまばたきなしで凝視する演出となっていた。

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2005年6月17日 (金)

鴨川右岸

鴨川納涼床で飲食を楽しめる季節は意外に短い。今は梅雨時。夜風が心地よいが,祇園会の頃には日没後も気温が下がらず,過酷な気象である。それでも川面に近づくと涼がとれるので,等間隔に席を取る若者が溜まる。電線にとまるゆりかもめのようで微笑ましい。
今はまだ群れてるグループが多いが,落ち着いてくると確実にカップルが増えてくる。

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2005年6月16日 (木)

唐崎夜雨・石山秋月

近江八景のひとつ「唐崎の夜雨」で知られる滋賀県の名勝「唐崎」の保全に対し,大津市と滋賀県が助成を打ち切ったことに対し,唐崎神社の神官さんたちが,県教育委員会を訪れ,名勝の解除を申し入れたという記事があった。
広重の近江八景には「夜の雨に 音をゆづりて 夕風を よそにそだてる 唐崎の松」とあり,初代の松は天正九年(1581)に植樹されたと聞く。どちらがどうとは言及を控えるが,唐崎には松は要るのではないだろうか。
一方,石山寺のハナショウブ2000株が鹿につぼみを食べられ全滅したとか。近江八景いまこそ市民も含め守ってゆかなければと思わざるを得ない。

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2005年6月14日 (火)

古都大津のマンション問題

滋賀県大津市の浜大津の一等地に高層マンションが建設されることが明らかとなり,近隣住民をはじめとする市民や有識者の間で物議をかもしだしていると聴く。
大津市は古都法に基づく古都に指定され,自然と歴史を保全するまちづくりの方向性を確認したばかりである。条例も策定されているが,具体的規制はなく,目標の設定に留まっていることから,景観への調和という命題はお願い行政でしかない。
鳴り物入りで導入した制度に実効性がないということは,分かるものは納得するが,何だったんだという思いを持つ方も多いことであろう。
どのようなまちと風景を目指すか,今からでも遅くはないので,議論からスタートするべきかと考える。

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2005年6月13日 (月)

「論文博士」廃止!中教審方針!

とうとう来るべきものが来てしまいそうである。
中央教育審議会報告大学院改革に関する中間報告「新時代の大学院教育」によると,“企業などに勤めながら研究論文を大学に提出して博士号を取得する「論文博士」について,「諸外国の制度と比べ日本独特の論文博士は,将来的には廃止する方向で検討すべきと指摘,大学院の教育課程を修了して博士号を取得する「課程博士」制度に一本化する方針を決めた。”とある。
博士号の取得方法を国際基準に合わせ,日本の学位が国際的に信頼され,通用するようにするとあるが,論文博士が日本の博士号の水準を下げていたことになるのであろうか。
一度は志しながら,半ばで断念した身では,大げさに残念と嘆くのもおこがましいが,やはり落胆する。
私の勤務地の京都は,自他共に認める大学のまち。いつかを夢見て京都の町で働く社会人研究者たちに,あきらめないでとエールを送りたい。

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2005年6月10日 (金)

7日,アイーダ開幕したらしいです。

つまり,まだ拝見していない。
先発メインキャストは,濱田,阿久津及び佐渡のお三方で,福井さんは,客席から観劇されておられたと,ファンサイトに書いてあった。
キャッツのマンカスからお名が消えていたのでもしやと期待していたが,楽しみは先に譲るといたしましょう。

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2005年6月 6日 (月)

坂東玉三郎特別舞踊公演初日

4日夜,南座板東玉三郎特別舞踊公演初日を拝見した。
「隅田川」も「船辨慶」も人気狂言で,上演回数も多いが,そこは玉三郎丈のこと,独創性と高い美意識により再構築され,芸術として提示して頂けた。
「船辨慶」,初役の初日とか。装置,曲,演出,全て船弁慶と異なり,能に近い。冗長な部分を切りつめ,緊迫感と凝集感に満ちた運び。
新調されたお衣装の美しいこと。重厚でありながら金糸銀糸がまばゆく目もくらむばかり。初日のためか,生地の堅さまでお見受け出来,妙なところで感動してしまった。
義経公を演じられた薪車丈のお衣装が良い。もちろん,ご当人も美しかった。

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2005年6月 1日 (水)

鴨川に納涼床が出ました。

今日から六月。京の夏の風物詩・納涼床が登場した。新しい葭が涼しげである。等感覚に並ぶグループも戻ってきた。ゆりかもめも飛ぶ。
この週末,坂東玉三郎丈の舞踊公演が南座で打たれる。演目の一つが隅田川。川の風景から隅田川の世界をしのぶよすがはないが,玉三郎丈は何かやって頂けることでありましょう。nec_0008.jpg

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