粟津の晴嵐
今年は,梅雨の最中ではあるというのにまとまった雨は降っていない。今日は久々の雨模様。晴れているのに雨が降る通称「狐の嫁入り」も楽しめた。
粟津の浜は,浜大津から近江大橋,膳所城を経て瀬田の唐橋の近くまで続く一帯で,景勝の地として近江八景にも「粟津の晴嵐」名を連ねている。往時の水際は今よりずっと南で,旧東海道は波打ち際を通っていたようだ。
義仲寺は,この旧東海道に沿って建つ。 義仲は,木曽殿・源義仲のことで,境内に墓所がある。
治承4年(1180),義仲は信濃に平氏討伐の挙兵をし,平氏の大軍を討ち破り,京都に入ったが,寿永3年(1184),鎌倉の源頼朝の命を受けて義仲討伐のため,都に上ってきた源範頼,源義経の軍勢に大敗し,この地で非業の最期を遂げた。
その後,麗しい尼僧がこの公の墓所のあたりに草庵を結び,供養三昧の日々を送ったという。この尼こそ,義仲公の側室巴御前の後身であったということになっている。
戦国の頃には,近江国守佐々木氏が再建し,江戸時代に芭蕉翁が訪れたことで有名になる。義仲贔屓の芭蕉翁はこの地を墓所に選んでいる。
度重なる水害や社会情勢の荒廃により,荒れ果てた境内地が整備されたのは昭和40年(1965)から。
芭蕉翁の命日に近い10月の第二土曜には,時雨忌の法要が営まれている。句碑も一杯。
行春をあふみ(おうみ)の人とおしみける 芭蕉
木曽殿と背中合せの寒さかな 又玄
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